3. 病院で行われる検査——の前に、現場でAEDに起きること
この事案でいちばん書いておきたいのが、ここです。
AEDは、濡れた胸には効きにくい。
指針2025の「注意をはらうべき状況」に、こう書かれています。
傷病者が汗をかいていたり、水泳や入浴で胸が濡れていると、電極パッドがしっかりと貼り付かないだけでなく、電気が体表の水を伝わって流れてしまうために、AEDの効果が十分に発揮されません。電極パッドを貼り付ける部位を乾いた布やタオルで拭いてから電極パッドを貼り付けてください。
そして、続く一文が実用的です。
背中や床は濡れたままでも問題ありません。
**拭くのは、パッドを貼る場所だけ。**体を乾かす必要も、床を拭く必要もありません。溺れた人を前にして「全身を拭かなきゃ」と時間を使ってしまうと、その分だけ胸骨圧迫が止まります。**貼る場所だけ、さっと拭く。**それだけです。
「ショックは不要です」と言われたら
この事案では、AEDが電気ショックを流す対象にはなりませんでした。**なぜそうだったのかは、ここには書けません。**救急隊は診断をしませんし、「溺水だからこうなる」と言い切れる公的な資料も、今回は見つけられませんでした。
ただ、その場面で何をするかだけは、はっきり決まっています。AEDはこう言います。「ショックは不要です」。
指針2025は、この場面について、わざわざ一項目を割いています。
AEDの音声メッセージが「ショックは不要です」の場合は、その後に続く音声メッセージに従って、ただちに胸骨圧迫から心肺蘇生を再開します。「ショックは不要です」は、心肺蘇生が不要だという意味ではありません。AEDの電源は切らずに、胸骨圧迫を始めてください。
「心肺蘇生が不要だという意味ではありません」。
わざわざこう書かれているということは、そう誤解されてきたということです。実際、現場で「ショック不要って出たので、やめました」と言われることがあります。あそこでやめないでほしい——これが、私がこの記事を書いている理由のひとつです。
病院に着いてからは、呼吸と酸素を支える治療が中心になります(写真はイメージです)
4. 傷病名は「溺水」でした
水に入ったことで呼吸ができなくなり、心臓が止まる。この経過につく傷病名が、溺水です。
そしてこの事案では、搬送の途中で、心臓が動き出しました。これを自己心拍再開と呼びます。
心臓が動き出したあとに何をするかも、指針2025は市民向けに書いています。
傷病者に普段どおりの呼吸が戻ったり、目的のある仕草が認められた場合は、心肺蘇生をいったん中断して様子をみてください。再び心臓が停止してAEDが必要になることもありますので、救急隊員と交代するまでAEDの電極パッドは傷病者の胸から剝がさず、電源も入れたままにしておいてください。
「再び心臓が停止して」。
戻ったら終わり、ではありません。もう一度止まることがある、と国の指針が書いています。だからパッドは剝がさない。電源も切らない。
呼吸が戻った人の姿勢についても、書かれています。
反応はないが普段どおりの呼吸をしている傷病者に対しては、横向きに寝た姿勢(回復体位)にして、喉の奥の空気の通り道が狭まったり、吐物で詰まったりすることを予防します。
回復体位にした場合には、傷病者の呼吸の変化に気づくのが遅れないように、救急隊が到着するまでの間、観察を続けます。普段どおりの呼吸かどうか判断に迷うときは、ただちに傷病者を仰向け(仰臥位)に戻して観察しなおします。
溺れた人は水を吐くことがあります。**横向きにして、見ていてください。**そして迷ったら仰向けに戻す——ここまでが一続きの手順です。
心臓が戻っても、そこからが治療の始まりです(写真はイメージです)
5. 溺水とは——「上がったあと」に起こることがあります
MSDマニュアル家庭版「溺水」は、水に入った量と時間の関係を、こう説明しています。
大量の水が肺に入ると、直ちに溺水します。少量の水でも、特にその水が細菌、藻類、砂、泥、化学物質、吐いたものなどで汚染されている場合は、肺が損傷することがあり、この病態は水中から出て数時間経過して初めて現れます。
「水中から出て数時間経過して初めて現れます」。
引き上げられて、話ができて、歩けている。それでも数時間あとに悪くなることがある、と書かれています。同ページは、この病態が**「二次性溺水」**と呼ばれることがあるとしています。
もうひとつ、水から上がったあとに起こるものも挙げられています。
声帯れん縮は、水中から出た後に初めて起こることがあります。その場合、通常は数分以内に起こります。水が肺に入るわけではないため、この病態は乾性溺水と呼ばれることがあります。
**だから、溺れかけた人は「元気そうでも」受診してください。**これは救急隊としての実感でもあります。
冷たい水のこと
冷たい水には、悪い面とよい面の両方があると書かれています。
筋肉が冷やされると泳ぐのが困難になり、危険なほど体温が低下し(低体温症)、判断能力が損なわれることがあります。しかし、水が冷たいと酸素不足の悪影響から組織が保護されます。
つまり、冷たい水でおぼれた人は、時間が経っていても助かる可能性があるということです。現場で私たちが手を止めない理由のひとつが、これです。低体温そのものの見方は「さっきまで、あんなに寒がっていたのに」——傷病名は「低体温症」でしたにまとめました。
「上がったあと」の数時間も、見ていてほしい時間です(写真はイメージです)
6. 避けるには——手順を1回だけ、頭に入れておく
予防そのものは前の記事に譲ります。ここでは、引き上げたあとの手順だけを置いておきます。
① 助けに行く前に119番(海上では118番)
② 浮くものを投げる。ロープがあれば投げ渡す
③ 沈んだら、場所の目印を覚える——専門家に伝えるため
④ 引き上げたら、反応と呼吸を確認する——引きつる動きは「反応なし」、しゃくりあげる呼吸は「普段どおりの呼吸ではない」
⑤ 胸骨圧迫を始める——人工呼吸ができる人はセットで。できなければ胸骨圧迫だけでも
⑥ AEDが来たら、パッドを貼る場所だけ拭いてから貼る——背中と床は濡れたままでよい
⑦ 「ショックは不要です」でも、やめない
⑧ 呼吸が戻ったら回復体位にして、パッドは剝がさず電源も入れたまま観察を続ける
この⑥と⑧が、溺水のときだけ余分に必要になる知識です。ほかの心停止の記事には出てきません。
手を動かして覚えたい方には、救命講習が近道です。時間と到達目標は「3時間も、何をやるんですか」——救命講習のゴールにまとめました。
「元気そうに見えても受診」は、溺れかけた人にあてはまります(写真はイメージです)
7. 家族へ——手を止めない理由は、数字にもあります
指針2025は、市民の手がどれだけ結果を変えるかを、こう書いています。
市民が心肺蘇生を実施しなかった場合、1か月後の社会復帰率は3.7%であったのに比べ、実施した場合は10.4%と約3倍でした。とくに、市民が救急隊の到着までに電気ショックを行った場合の社会復帰率は44.4%で、これは救急隊が到着してから電気ショックを実施した場合の17.7%を大きく上回っています。ただし、市民が電気ショックを行ったのは、市民が倒れるところを目撃した心停止傷病者約28,000人のうち約1,450件と、5%あまりにすぎませんでした。
そして、時間についてはこうです。
わが国では、119番通報をしてから救急車が現場に到着するまでにかかる時間は全国平均で約9.8分(2024年)であり、市民による一次救命処置が救命のために大変重要な役割を果たします。
**約9.8分。**その9.8分を、そばにいる人が埋められます。AEDが置かれているのに使われない理由はAEDは、必要な場所にあるのに使われていないに、探し方は街中でAEDを見つける3つの場所に書きました。実際に人の手でつないだ場面は夜7時の介護施設で心臓が止まったに書いています。
そして指針2025は、続けることについて、こう書いています。
心肺蘇生とAEDの手順は、救急隊員と交代するまで何度でも繰り返してください。効果がなさそうに思えても、あきらめずに続けることが大切です。
「効果がなさそうに思えても」。
冒頭の事案で心臓が動き出したのは、搬送の途中でした。その時点まで、誰の目にも「効果がなさそう」に見えていたはずです。
119番で聞かれることは119番通報、電話に出た瞬間に聞かれる7つのことにまとめました。全部答えられなくても救急車は出ます。
効果がなさそうに思えても、続けてください(写真はイメージです)
8. 書かなかったこと
正確さのために、確認できなかったので書かなかったことを挙げます。
- この事案の場所・季節・状況——匿名化のため書いていません。書けるのは「60代男性・水難による心肺停止・搬送中に自己心拍再開」までです
- 水を吐かせる・背中を叩く——今回参照した国の市民向け指針に、そうした手順の記載はありません
- 「◯分たつと助からない」——今回の一次資料に、この形の記述はありません
- 「溺水」という区分の救急統計——消防庁『令和7年版 救急・救助の現況』に「溺水」という語は出てきません。集計されているのは**「水難」**で、令和6年中の出動が4,787件、搬送人員が1,832人です。水難と溺水は同じものではないので、この記事では傷病名の話として扱っていません
- 自己心拍再開後の生存率・社会復帰率——溺水に限った数字は確認できていません。本文の3.7%/10.4%/44.4%は心停止全体の数字です
- なぜこの事案でAEDのショック適応にならなかったのか——救急隊は診断をしません。心電図の波形の話は書いていません
まとめ
溺れた人の心臓が止まったとき、ほかの心停止と違うのは2つだけです。
- AEDのパッドを貼る場所を、乾いた布やタオルで拭いてから貼る(背中と床は濡れたままでよい)
- 人工呼吸ができる人は、胸骨圧迫と組み合わせる(できない人は胸骨圧迫だけでよい)
あとは、ほかの心停止と同じです。
- 引きつる動きは**「反応なし」**
- しゃくりあげる呼吸は**「普段どおりの呼吸」ではない**
- 「ショックは不要です」は「心肺蘇生が不要」ではない
- 効果がなさそうに思えても、続ける
そして、心臓は動き出すことがあります。
- 呼吸が戻ったら回復体位にして、観察を続ける
- パッドは剝がさない。電源も切らない——再び止まることがあるから
- 元気そうに見えても、数時間あとに悪くなることがあるので必ず受診する
引き上げたところで、救助は終わりません。そこからの数分と、そのあとの数時間が、この病気のいちばん大事なところです。
この記事が、その数分を埋める助けになればと願っています。
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その日の水も、たいていは静かでした(写真はイメージです)
だからこそ、上がったあとの手順を、先に知っておいてください(写真はイメージです)
本記事は一般的な情報提供であり、医療診断に代わるものではありません。実際の症状については必ず医療機関にご相談ください。
※プライバシー保護のため、実際の事案を元に、年齢(10歳幅)・発生日時・発生場所など、個人が特定できる情報を改変または省略しています。
参考