救急の現場から引き揚げるとき、ご家族からいちばん多く聞かれる質問があります。
「私も、講習みたいなものを受けたほうがいいんでしょうか」
そのあとに、たいてい同じ言葉が続きます。
「でも、受けたところで、私にできる気がしなくて」
机と椅子が前を向いて並んでいるだけの、ふつうの部屋で行われます(写真はイメージです)
この記事は、その「できる気がしない」に対する答えです。
先にお伝えしておきます。**救命講習のゴールは、あなたが人を救えるようになることではありません。**国はもっと具体的で、もっと控えめな目標を、たった一行で決めています。その一行を知ると、講習の見え方がかなり変わります。
主な出典は、総務省消防庁の「応急手当の普及啓発活動の推進に関する実施要綱」(平成5年3月30日消防救第41号/令和4年3月31日消防救第105号改正)と、『令和7年版 救急救助の現況』(総務省消防庁)、そして消防庁の「応急手当WEB講習」のページです。どれも誰でも読める公開資料です。
先に、3つだけ
長い記事になるので、結論を先に置きます。
- 国が決めた到達目標は「救急車が現場到着するのに要する時間程度できる」。救うことではなく、もたせることがゴールです。そして令和6年の現場到着所要時間は、全国平均で約9.8分でした。
- 講習は1種類ではありません。45分のコースから480分(8時間)のコースまで、5種類あります。「3時間は無理」で諦める必要はありません。
- **座学部分は、家で済ませられる場合があります。**要綱は、e-ラーニングやオンライン講習で60分相当の座学を受ければ、対面の実技を短くできると定めています。
以下、ひとつずつ、原文を見ていきます。
① ゴールは「救うこと」ではなく「もたせること」
まず、いちばん大事なところから。
消防庁の実施要綱には、講習ごとに「到達目標」が書かれています。普通救命講習Ⅰの到達目標の1番目は、こうです。
心肺蘇生法(主に成人を対象)を、救急車が現場到着するのに要する時間程度できる。
読み飛ばしそうな一行ですが、ここには大事なことが2つ書かれています。
ひとつは、求められているのが「救命の成功」ではないということ。国が講習の到達点として置いているのは、「助けられること」でも「蘇生させられること」でもありません。一定の時間、続けられることです。
もうひとつは、その時間が**「救急車が現場到着するのに要する時間」**という、現実の数字に紐づいていることです。
その数字も、同じ消防庁の資料に載っています。『令和7年版 救急救助の現況』には、こうあります。
令和6年中の救急自動車による現場到着所要時間は全国平均で約9.8 分であるが、それまでに一般市民による応急手当が適切に実施されれば、より高い救命効果が期待できる。
つまり、講習が受講者に求めているのは、ざっくり言えば**「10分ほど、手を止めずにいられること」**です。
これは、できる気がしない話でしょうか。私はそうは思いません。難しいのは事実です。胸骨圧迫を10分続けるのは、想像よりずっと疲れます。でもそれは、技術の問題ではなく、体力と覚悟の問題です。そして講習は、まさにそこを体で覚えるために3時間を使います。
倒れる場所は、たいてい病院ではなく、こういう部屋です(写真はイメージです)
なお、消防庁の「応急手当WEB講習」のページには、こう書かれています。
特別な資格がなくても、誰にでも行えるのが応急手当です。
講習は、資格を取りに行く場所ではありません。すでに誰にでも許されていることを、体で確かめに行く場所です。
② 講習は5種類あります。45分のコースもあります
「救命講習」とひとくくりに呼ばれますが、実施要綱が定める住民向けの講習は、実は複数あります。時間もカリキュラムも別物です。
要綱の別表から、時間と主な中身をまとめます。
| 講習の種類 | 合計時間 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 救命入門コース(45分コース) | 45分 | 胸骨圧迫のみの心肺蘇生(実技)、AEDの使用法 |
| 救命入門コース(90分コース) | 90分 | 上記に加え、気道確保・人工呼吸の呈示または体験 |
| 普通救命講習Ⅰ | 180分 | 心肺蘇生法(主に成人)、AED、異物除去法、止血法 |
| 普通救命講習Ⅲ | 180分 | 心肺蘇生法(主に小児・乳児・新生児)、AED、異物除去法、止血法 |
| 普通救命講習Ⅱ | 240分 | Ⅰの内容+筆記試験・実技試験 |
| 上級救命講習 | 480分 | 上記に加え、傷病者管理法、副子固定法、熱傷の手当、搬送法ほか |
ここで、いくつか補足させてください。
**まず、いちばん短いのは45分です。**救命入門コース(45分コース)の到達目標は、「胸骨圧迫を救急車が現場到着するのに要する時間程度できる」「自動体外式除細動器(AED)を使用できる」の2つ。やることを胸骨圧迫とAEDに絞った代わりに、45分という設計です。「3時間は都合がつかない」という理由で何も受けないより、45分のほうがはるかにましです。
**次に、普通救命講習Ⅱは、一般のご家庭向けではありません。**要綱の備考に、対象がはっきり書かれています。
普通救命講習Ⅱは、業務の内容や活動領域の性格から一定の頻度で心停止者に対し応急の対応をすることが期待・想定される者を対象とすること。
筆記試験と実技試験があり、「原則として80%以上を理解できたことを合格の目安とすること」とされています。仕事で必要な方以外は、まずⅠで十分です。
**そして、小さなお子さんがいるご家庭は、Ⅲを探してみてください。**普通救命講習Ⅲは、心肺蘇生法の対象が「主に小児、乳児、新生児」です。時間はⅠと同じ180分です。
上級救命講習(480分)の中身は、かなり広いです。要綱の別表2には、「その他の手当」としてこう並んでいます。
用手による頸椎保護、すり傷・切り傷、気管支喘息、痙攣、低血糖、失神、アナフィラキシー、歯の損傷、毒物、溺水への対応等
さらに「熱中症への対応(予防を含む)」も独立した項目として入っています。心停止だけでなく、このブログで扱ってきたような「家庭で実際に起きること」の大半が、8時間のカリキュラムに含まれている、という理解でよいと思います。
45分でも180分でも、まず一日に丸をつけるところからです(写真はイメージです)
③ 座学は、家で済ませられる場合があります
「3時間まとめて空けるのが難しい」という方へ。要綱は、座学部分の扱いについてこう定めています。
普通救命講習Ⅰの備考には、こうあります。
座学部分については、e-ラーニングや、オンラインによる双方向のLIVE 講習(以下「オンライン講習」という。)の活用を可能とする。
e-ラーニングやオンライン講習による心肺蘇生法の座学講習(60 分相当)を受講した場合、概ね1ヶ月以内に、対面による実技講習等(120 分)を受講することで、修了証を交付することができる。
つまり、先に自宅で60分の座学を済ませておけば、会場で過ごす時間は120分にできる、という設計です。上級救命講習でも同じ考え方が使え、座学をその他の応急手当まで含めた120分相当にした場合は、対面の実技を360分にできると書かれています。
消防庁は、この座学用の教材そのものを「応急手当WEB講習」としてウェブ上で公開しています。
ただし、ここは正直にお伝えします。**この仕組みを実際に使えるかどうかは、お住まいの地域の消防本部の運用によります。**要綱は「交付することができる」という書き方で、消防本部の裁量を残しています。全国どこでも必ずこの方式が選べる、とは書かれていません。申し込みのときに確認してください。
日程も、座学が家で済むかどうかも、まず消防本部に確認するところからです(写真はイメージです)
④ 受けた人がしたことは、数字に出ています
講習を受けた人が現場で何かをしたかどうかは、統計として毎年集計されています。
『令和7年版 救急救助の現況』によると、令和6年に全国の救急隊が搬送した心肺機能停止傷病者は14万88人。そのうち**7万2,720人(51.9%)**に、一般市民による応急手当が実施されました。半分を少し超えたところです。
そして、結果の差はこう書かれています。
全国の救急隊が搬送した全ての心肺機能停止傷病者のうち、救急隊が到着するまでに一般市民により応急手当が実施された場合の傷病者の1か月後の生存者数の割合は6.6%で、応急手当が実施されなかった場合の割合5.6%と比較すると約1.2 倍救命効果が高い。
全国の救急隊が搬送した心肺機能停止傷病者数のうち、心原性かつ心肺機能停止の時点が一般市民により目撃された傷病者で、救急隊が到着するまでに一般市民により応急手当が実施された場合の傷病者の1か月後の生存者数の割合は15.3%で、応急手当が実施されなかった場合の割合7.9%と比較すると約1.9 倍救命効果が高い。
ここは、数字の読み方を間違えないでいただきたいところです。
「1.2倍」と「1.9倍」は、母集団が違います。1.2倍のほうは、原因も目撃の有無も問わない、搬送された心肺機能停止傷病者の全体。1.9倍のほうは、心臓が原因で、かつ一般市民が倒れる瞬間を目撃した場合に限った数字です。「救命講習を受ければ助かる確率が1.9倍」という意味ではありません。目の前で倒れるところを見た、という条件がついたときに、差が最も大きく出る——そういう数字です。
そしてこの「目の前で倒れるところを見た」という条件は、家庭でこそ起こります。倒れる瞬間にそこにいるのは、たいてい家族です。
一方で、受講者数のほうは、消防庁自身が控えめに書いています。
令和6年中の応急手当講習の受講者数は156 万1,405 人で、前年と比較すると増加したが、令和元年以前の水準には達していない
内訳は、普通救命講習が88万6,514人、上級救命講習が7万1,222人、救命入門コースが60万3,669人です。回復途上、というのが公式の評価です。
年間150万人以上が、こういう場所で数時間を過ごしています(写真はイメージです)
誰のために受けるのか、が決まると、日程は意外と空きます(写真はイメージです)
申し込みのときに聞くことは2つ。日程と、座学を家で受けられるかどうかです(写真はイメージです)
何ごともない日が続くこと。そのための数時間です(写真はイメージです)
道具より先に、手が動くこと。順番はそちらが先です(写真はイメージです)
使わずに済むのがいちばんです(写真はイメージです)

