その日の119番通報は、通行人からでした。
交通事故。負傷者1名。意識あり。
到着したとき、傷病者の男性は、もう自力で車から降りて、道路脇に立っていました。
60代の男性です。右手を、左手で包むように押さえていました。
「大丈夫です。ぶつけたのは、こっちの手だけなので」
そう言いながら、右手をこちらに向けてくれました。
右手の小指が、途中で不自然な方向を向いていました。そして、指の付け根に近いところの皮膚が破れて、そこから骨が見えていました。
開放骨折です。
事故の現場で、いちばん痛いところが、いちばん危ないところとは限りません(写真はイメージです)
痛みはあるようでしたが、意識はしっかりしていて、会話も普通にできる。歩ける。ほかに打ったところはない、と言われる。
——ここまでなら、「指の骨折の方」です。
ところが、この事案でいちばん時間を使ったのは、指ではありませんでした。
車内で出た数字
ストレッチャーに乗っていただき、救急車の中でひととおり測ります。事故であっても、けがの場所を見るだけでは終わりません。
出てきたのが、この数字です。
| 項目 | 値 |
|---|---|
| 意識 | 清明。会話ができる |
| 呼吸 | 苦しそうな様子はない |
| 血圧 | 196/128 mmHg |
| 心電図 | モニタと12誘導で変化あり(ST部分の低下) |
| 右手 | 小指の開放骨折。出血は圧迫で止まっている |
血圧計の数字を見て、もう一度測り直しました。
193/138 mmHg。
下(拡張期)のほうは、むしろ上がっていました。
「そんなもんです」と言われました
数字をお伝えすると、男性はこう言いました。
「ああ、そんなもんです。前から高いんで」
そこで、続けて聞きました。
「血圧のお薬は、飲まれていますか」
「もらってはいるんですけど……半年くらい、飲んでないですね」
理由も、はっきりしていました。「調子が悪くないので」。
これは、責める話ではまったくありません。現場では、いちばんよく聞く理由です。そして、あとで書きますが、国の指針も学会も、これを「よくあること」として扱っています。
問題は、ここから先です。
この方が今日救急車を呼ばれたのは、血圧のせいではありません。事故のせいです。
そして事故がなければ、この196という数字は、誰にも測られないまま今日も過ぎていたということになります。
ハンドルを握っていた人の血圧を、誰も測っていなかった——事故の前まではそうでした(写真はイメージです)
196/128という数字は、どのくらいの数字なのか
まず、数字そのものの位置づけを確認します。
日本高血圧学会と日本高血圧協会が出している一般向け「高血圧治療ガイドライン2019」解説冊子には、血圧の分類表が載っています。診察室で測った場合の区分です。
| 分類 | 診察室血圧(mmHg) |
|---|---|
| Ⅰ度高血圧 | 140-159 かつ/または 90-99 |
| Ⅱ度高血圧 | 160-179 かつ/または 100-109 |
| Ⅲ度高血圧 | ≧180 かつ/または ≧110 |
(日本高血圧学会・日本高血圧協会 一般向け「高血圧治療ガイドライン2019」解説冊子より)
196/128は、上も下も、いちばん上の段を超えています。
ただし——ここは正直に書いておきます。**救急車の中で測った血圧は、この表がいう「診察室血圧」ではありません。**学会が診断に使う血圧は、病院の診察室で測ったものと、家で決まった手順で測ったもの(家庭血圧)です。事故現場で、痛みを我慢しながら、救急隊に囲まれて測った数字を、そのまま表に当てはめて「Ⅲ度高血圧です」と診断することは、私たちにはできません。
**それでも運びます。**理由は、次の項です。
「様子を見ましょう」と言えない数字が出たときは、運びます(写真はイメージです)
分かれ目は「数字」ではなく「臓器」です
ここが、今日いちばんお伝えしたいところです。
血圧が非常に高いとき、医学の世界には似ているけれど別物の2つの言葉があります。MSDマニュアル家庭版が、一般の方向けにこう説明しています。
高血圧切迫症は、収縮期血圧が180mmHgを超えるか拡張期血圧が120mmHgを超えているものの、患者が自覚できる臓器障害も医師が検出できる臓器障害もない状態です。
(MSDマニュアル家庭版「高血圧」)
高血圧緊急症は特に重症の高血圧で、収縮期血圧が180mmHg以上になるか拡張期血圧が120mmHg以上になり、重要な臓器(典型的には脳、心臓、腎臓)に進行性の障害を示す所見がみられ、しばしば様々な症状を伴います。
(同上)
読み比べていただきたいのは、血圧の数字が、どちらもほぼ同じだということです。
180/120という数字は、両方に出てきます。数字だけでは、この2つは分けられません。
分けているのは、後半です。
- 臓器の障害が「ない」 → 高血圧切迫症
- 臓器(脳・心臓・腎臓)の障害が「ある」 → 高血圧緊急症
つまり、「何mmHgだから危ない」ではないのです。「その血圧で、体のどこかが壊れはじめているかどうか」が分かれ目です。
そして、壊れはじめているかどうかは、血圧計では分かりません。
血圧計は「圧」しか教えてくれません。臓器の話は、別の道具で見ます(写真はイメージです)
だから、心電図をとりました
この事案で心電図をとったのは、胸が痛いと言われたからではありません。
**言われていません。**この方が訴えていたのは、最後まで右手の指だけでした。
それでも12誘導心電図をとって、モニタをつけたのは、血圧が非常に高い人で、心臓に何か起きていないかを見る必要があったからです。
そして、**変化がありました。**ST部分が下がっている波形です。
ここで、はっきり書いておきます。
この波形が何を意味するのかを決めるのは、病院です。
心電図の変化は、それだけで病名になりません。もともとそういう波形の方もいます。血圧が高いことによって心臓が一時的に酸素不足になっている場合もあります。まったく別の理由のこともあります。私たちに分かるのは「いつもと違うかもしれない所見が出ている」というところまでで、それ以上は搬送先で調べることです。
ですが、分からないからこそ運ぶ、というのが救急の判断です。
- 血圧が、上も下も、いちばん上の区分を超えている
- 心電図に、心臓の所見が出ている
- 薬は半年飲んでいない
- そして本人は、まったく自覚していない
この4つが同時にそろっている状態を、「指の骨折です」で終わらせることはできませんでした。
高血圧が「サイレントキラー」と呼ばれる理由
「調子が悪くないので、飲んでいません」
この一言に、正面から答えている文章が、日本高血圧学会の一般向け冊子にあります。
高血圧は、**サイレントキラー(静かなる殺人者)**といわれるように、ほとんどの人で自覚症状がないにもかかわらず、脳や心臓の血管が動脈硬化を起こし、腎臓のはたらきが悪くなることもある決して侮れない病気です。わが国で年間10万人以上の方が、高血圧が原因で亡くなっています。
(日本高血圧学会・日本高血圧協会 一般向け「高血圧治療ガイドライン2019」解説冊子 Q4)
同じページに、こう続きます。
症状がないからといって、高血圧を放置すると、突然、脳卒中や心筋梗塞など命に関わる病気になることがあるほか、徐々に腎機能が低下して透析になってしまうこともあるので、早めに「かかりつけ医」に相談しましょう。
(同上)
「調子が悪くない」は、血圧が下がっている証拠にはなりません。
むしろ学会は、調子が悪くないのが普通だと書いています。だから「静かな」殺人者と呼ばれている。
これは、精神論ではありません。血圧という病気の性質そのものです。
「飲まなくても平気だった」は、効いていなかったという意味ではありません(写真はイメージです)
「やめると元に戻る」——学会がそう書いています
もうひとつ、同じ冊子から引きます。
血圧を下げる薬は、「一度飲みだすと一生飲み続けなければいけない」と考えている人が多いようです。たしかに、降圧薬は高血圧の原因を治すわけではありませんから、薬をやめると元に戻る可能性は高いと言えます。
(同冊子 Q14「降圧薬はやめることができますか?」)
大事なのは、この冊子が**「やめられない」とは言っていない**ことです。同じ項目には、こうも書かれています。
しかし、薬をやめることができる患者さんも少なからずいらっしゃいます。(中略)Ⅰ度の高血圧(140〜159/90〜99 mmHg)では、1剤で低用量の場合、**20〜30%の患者さんで降圧薬をやめることができます。**2剤以上飲んでいる場合でも薬の減量が可能です。
(同上)
そして、最後にこう締めています。
ただし、勝手に薬を減量・中止することは危険です。主治医とよく相談するようにしましょう。
(同上)
飲む・飲まないを決めているのは、たいてい「今日の体調」です(写真はイメージです)
「やめてはいけない」ではなく、「勝手にやめてはいけない」です。
やめられる人はいる。減らせる人もいる。ただし、それを決めるのは、検査の数字を見ている人であって、体調の感覚ではない——学会が書いているのは、そういうことです。
冊子の別の項目でも、繰り返し同じことが書かれています。
また、自己判断で服薬をやめることなく、疑問があるときは医師に相談しましょう。
(同冊子 Q11「降圧薬による治療について教えてください」)
なお、厚生労働省の「高齢者の医薬品適正使用の指針(総論編)」でも、「自己判断による服薬の中止」は、認知機能の低下や視力低下・嚥下機能障害と同じ表のなかに並べられています。国の側も、これを本人の不真面目さではなく、普通に起きる要因として扱っているということです。
薬をやめる・やめないの話を、もう少し広く扱った記事もあります。あわせてどうぞ。
指のけがのほうも、軽くはありませんでした
血圧の話ばかりになりましたが、もともとの受傷部位も、放っておける状態ではありませんでした。
開放骨折とは、折れた骨のところで皮膚が破れていて、骨折した場所が体の外とつながっている状態です。閉じている骨折(閉鎖骨折)と何が違うかというと、細菌が入る道ができているということです。
日本整形外傷学会の一般向け解説には、治療の優先順位が、はっきり書かれています。
開放骨折では、感染を防ぐために創の処置が優先され、創の状態が不良(汚染がひどいなど)であれば創外固定と呼ばれる方法を用いることが多いです。
(日本整形外傷学会「骨折の解説」下腿の骨幹部骨折)
「骨をきれいにつなぐ」より先に、「感染させない」が来ます。
指1本であっても、これは同じです。同学会の手の骨折の解説も、こう締めくくっています。
いずれの怪我も**適切に治療せずに放っておくと重い後遺症を引き起こします。**怪我で手が腫れたら整形外科の先生に診てもらいましょう。
(日本整形外傷学会「骨折の解説」手の中手骨骨折)
ですから、この事案は「血圧のほうが本当の問題で、指はついで」ではありません。両方とも、その日のうちに手当てが要る状態だったということです。
指も、心臓も、その日のうちに診てもらう必要がありました(写真はイメージです)
受入先は、5回目の電話で決まりました
この日、車内収容してから発車するまでに、少し時間がかかりました。
受入照会5回。
ご本人は、途中でこう言われました。
「指くらいで、こんなに探してもらうことになるとは」
——**「指くらい」ではなかったから、探していたんです。**とだけ、お伝えしました。
救急車がなかなか発車しないときに何が起きているかについては、統計まで含めて別の記事に書きました。ここでは数字を1つだけ置いておきます。総務省消防庁『令和7年版 救急救助の現況』によると、令和6年中に救急車で搬送された676万9,172人のうち、**77.0%は1回目の照会で受入先が決まっています。5回かかったのは1.3%**です。
「歩けている人」が、いちばん行き先を探すのに時間がかかることがあります(写真はイメージです)
覚えて伝えなくて大丈夫です。書いたものを、そのまま持っていってください(写真はイメージです)
家に血圧計があれば、事故を待たずに済みます(写真はイメージです)

