119番に電話が入った。

「胸が痛い、というか……左の肩が痺れる感じがして、顎のあたりも変なんです」

「胸が痛い」とは言わなかった。

でも私たちは急いだ。


「胸が痛くない」心筋梗塞がある

急性心筋梗塞と聞くと、ドラマのように胸を押さえてバタッと倒れる——そんなイメージを持つ人が多いかもしれない。

しかし現場では、「胸は痛くない」という傷病者に出会うことがある。

心臓の痛みは、しばしば「放散痛」という形で現れる。神経の走り方の関係で、心臓への血流が途絶えているにもかかわらず、胸以外の場所に痛みや違和感が生じることがあるのだ。

心筋梗塞で痛みが出やすい場所

放散する場所 症状の例
左肩・左腕 痺れ、だるさ、重い感じ
顎・下顎 歯が浮く感じ、顎が痛い
みぞおち(上腹部) 胃が痛い、胃もたれ感
背中 背中が重い、押される感覚

国立長寿医療研究センターが運営する健康長寿ネットにも、「顎や歯の痛み」「左肩から左腕にかけての痛み」「みぞおちや背中への放散痛」が急性心筋梗塞の症状として明記されている。また、日本循環器学会の2023年改訂ガイドラインにおいても、こうした非典型症状が急性冠症候群の発症様式として記載されている。

「胸痛がない」は、「心筋梗塞ではない」を意味しない。

とくに高齢者・糖尿病のある方は、典型的な胸痛が出にくいことが知られている。「なんとなく気持ち悪い」「みぞおちがおかしい」という訴えから搬送先で急性心筋梗塞と診断されたケースを、私は複数経験している。

左肩に手を当てた人物の背部からのイメージ 「胸は痛くない」——それでも、心臓は悲鳴を上げていた。左肩の放散痛は、見逃されやすいサインのひとつだ


現場で見た「様子見」の代償

救命士として長く現場に立ち、傷病者や家族と言葉を交わしてきた。

重篤な状態で発見されたとき、家族から繰り返し聞く言葉がある。

「様子を見ていました」


ある日、ケアマネージャーが訪問したとき

老老介護の家だった。

担当ケアマネージャーが定期訪問のためドアを開けると、高齢の男性がリビングの床に横になっていた。

「昨日の朝から、ここにいます」

そばにいた同居の家族が、そう言った。

前日の朝からリビングで倒れたまま、約30時間が経過していた。

119番を押したのは、ケアマネージャーだった。


ある午後、デイサービスの職員が来たとき

高齢者が一人、自室の床に横たわっていた。

同居の家族がいた。しかしその家族は、通報の判断ができる状況になかった。

迎えに来たデイサービスの職員が、119番に電話した。

倒れてから、約2時間が経過していた。


どちらのケースも、「同居の家族がいた」。

でも、119番は繋がらなかった。

「なぜ呼ばなかったのか」と問える状況ではないことも、現場では多い。

一つ確かなのは、時間が経てば経つほど、心筋が死ぬ範囲が広がるということだ。

冠動脈が詰まった瞬間から、血流を失った心筋は死に向かって進み始める。日本循環器学会の2023年改訂ガイドラインでは、症状出現から90分以内の冠動脈再開通(Door-to-Balloon time)が治療目標とされている。

「まだ大丈夫かもしれない」と思っている間に、その窓が閉じていく。

「ギリギリになる前に通報してほしい」——現場でそう思い続けてきた。


「同居家族がいる」は安心材料ではない

「家族と一緒に住んでいれば大丈夫」とは限らない。

現場の経験からいうと、急性心筋梗塞のケースでは、本人に意識がある限り、自分で119番に電話するか、家族に頼んで通報するパターンが多い

「本当に心臓が悪いの?」と自分でも疑い、「大丈夫かもしれない」と様子を見る。

家族にできるのは、そのとき隣で「おかしいから救急車を呼ぼう」と言うことだ。

「左肩が痛い」「顎に違和感がある」「みぞおちが気持ち悪い」——そういう訴えを聞いたとき、「少し休めば治るかな?」ではなく、「今すぐ119番にしよう」と言える家族の一言が、命を救う可能性がある。


迷ったら「#7119」へ

「救急車を呼ぶほどじゃないかもしれない」と迷ったとき、使える選択肢がある。

**#7119(救急安心センター)**だ。

電話すると、医師・看護師・救急救命士が「今すぐ救急車を呼ぶべきか」「急いで受診すべきか」を一緒に判断してくれる(地域によって専門員が対応する場合もある)。

ただし、現在全国41地域で実施されており、未実施の地域もある。総務省消防庁のサイトで、住んでいる地域が対応しているか確認しておいてほしい。

また、子どもの場合は「#8000」(小児救急でんわ相談)が別に設置されている。#7119は主に大人向けの窓口だ。

総務省消防庁 救急安心センター事業(#7119)ってナニ?

「呼んでよかったのかな」と後で思うくらいでいい。迷ったとき、まず#7119に電話してみてほしい。

スマートフォンを手に持つシルエット 「迷ったら#7119」——その一本が、判断の支えになる


119番に電話したとき、最初に伝えること

実際に119番をかけたとき、何を伝えればいいか。

救急指令センターのオペレーターは、情報を引き出しながら対応してくれる。それでも、最初に伝える情報が、出動体制を変えることがある

次の3点を意識してほしい。

① 意識があるかどうか

「意識はあります」「呼びかけても反応しません」——それだけでいい。

② 呼吸があるかどうか

「胸が動いています」「呼吸しているか分かりません」——「分からない」と伝えることが、次の指示に繋がる。

③ いつから・どんな症状か

「30分前から肩が痛いと言っていた」「さっきまで話せていたのに急に反応が薄くなった」——時系列を一文で伝えるだけでいい。

「胸は痛くないんですが、肩と顎が変で……」——そういう電話を受けた救急指令センターは、心臓疾患を念頭に置いて対応する。「胸痛じゃないから大したことないかも」と思わずに、感じていることをそのまま伝えてほしい。

アジア系の家族が居間に集まっているイメージ 家族の訴えに耳を傾け、「おかしい」と思ったらすぐ119番——その判断が、命を変える


まとめ——「様子を見ていた、って皆言う」

急性心筋梗塞は、胸痛だけとは限らない。

左肩、顎、みぞおち、背中——どこに痛みが出るかは人によって違う。

そして「様子を見ていました」という言葉を、私は現場で何度も聞いてきた。

家族が気づいたとき、本人が「大丈夫かな」と思っているとき——その瞬間に、一言声をかけてほしい。

「救急車を呼ぼう」

その言葉が早ければ早いほど、治療が届く確率が上がる。

「呼んでよかった」は後から分かる。「呼べばよかった」は取り戻せない。


「もしものとき」の備えを

急性心筋梗塞は、入院・カテーテル手術・リハビリまでを含めると、医療費が数十万円〜百万円を超えることがあります。

回復しても、心臓への負荷が残り、しばらく仕事ができなくなるケースもあります。

医療保険・生命保険・就労不能保険が、もしものときの経済的な支えになります。この機会に、ご家族の保険を一度確認しておくことをおすすめします。


参考文献・出典

医療情報の正確性について:本記事の情報は執筆時点(2026年7月)の公的情報・診療ガイドラインに基づきます。医療判断は必ず医師にご相談ください。記事内容の誤りを発見された場合は、お問い合わせよりお知らせください。


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免責事項:この記事の情報は一般的な救急・予防知識の情報提供を目的としており、医療行為・医療診断の代替となるものではありません。症状がある場合は必ず医療機関を受診してください。生命の危機を感じる症状は、すぐに119番に通報してください。

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