初夏の午後のことでした。
90代の男性が、自宅の畑で木の枝を切っていました。
脚立が傾いた瞬間、男性は地面に倒れました。
近くを歩いていた方が気づいてくださり、すぐに119番に電話してくれました。
「転んでいます。頭から少し血が出ています。でも意識はあります」
その電話が、命をつなぎました。
「頭を打っても意識がある」——だからこそ、知っておいていただきたいことがあります
現場に着いたとき
救急隊員として現場に向かいました。
到着すると、男性は立ち上がろうとしていました。
畑で転んで頭を打ち、どれほど驚かれたことでしょう。
声をかけると、はっきり答えてくださいます。
自力で歩こうともしていました。
ただ、おでこ(前頭部)に裂傷(切り傷)があって、血が出ていました。
現場で確認したバイタル(血圧・脈拍・呼吸)
| 項目 | 数値・状態 | 状態 |
|---|---|---|
| 意識 | JCS 0(完全に清明) | 良好 |
| 呼吸 | 16回/分(正常範囲:12〜20回/分) | 正常 |
| 脈拍 | 78回/分(正常範囲:60〜100回/分) | 正常 |
| 血圧 | 158/92 mmHg(正常上限140/90を超えるやや高値) | 要注意 |
| 酸素濃度(SpO2) | 98〜99%(正常は95%以上) | 正常 |
| 頭部 | 前頭部に裂傷・出血あり | 処置必要 |
| 手足の麻痺 | なし | 良好 |
| 既往歴 | 高血圧 | リスク因子 |
バイタルを確認していると、通報してくださった方が隣で言いました。
「こんなことで救急車を呼んでしまってすみません。意識もありますし、立ち上がろうとされていたので......大げさだったかなと」
「いいえ、電話してくださって本当によかったです。頭を打った後は、見た目では判断できないことがあるんです」
私はそう答えながら、血圧計を腕に当てました。
「意識もある、歩ける、話せる——大丈夫そう」
見た目はそう見えました。
でも私たち救急隊員は、頭を打った高齢者を前にすると、いつも緊張が走ります。
それには、はっきりとした理由があります。
158/92 mmHgという血圧は、既往の高血圧に加えて頭部外傷のリスクをさらに高める数値でした
「意識がある=大丈夫」ではありません
ここが、いちばん大切なところです。
頭を打ったとき、症状はすぐに出るとは限りません。
打った直後は何ともないのに、数時間後・場合によっては数日後に急変することがあります。
医学的には「ルシッドインターバル(意識清明期)」と呼ばれる現象です。
わかりやすく言うと、**「頭の中でゆっくり血がにじんでくる」**状態です。
最初はしっかり話せています。
「大丈夫だよ」と笑っていることさえあります。
でも、時間がたつにつれて脳への圧力が高まっていきます。
そして数時間後、急に意識がおかしくなる——
救急の現場で、このパターンを何度も目の当たりにしてきました。
ご家族が「こんなことになるとは思っていなかった」と、涙をこらえて話してくれる場面も。
そのたびに、この記事を一人でも多くの方に届けたいという思いが強くなります。
「様子を見よう」と思った、その数時間の間に——
高齢者はなぜ特に気をつけが必要なのか
高齢者の頭部外傷は、若い方より危険な理由が3つあります。
大切なご家族を守るために、ぜひ知っておいてください。
理由① 脳の中に「すきま」ができています
年をとると、脳が少しずつ小さくなります(これを「脳萎縮(のうしゅく)」と言います)。
すると、頭の骨と脳の間に「すきま」ができます。
このすきまに、血液がたまりやすくなるのです。
「慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)」という病気があります。
転んでから数週間後に、ゆっくりと血がたまっていく病気です。
最初の転倒のことをご家族も本人も忘れかけたころに、急に歩けなくなったり、認知症に似た症状が出たりします。
「あのとき転んだのが原因だったんだ」と後からわかることも多い、やっかいな病気です。
ご高齢の親御さんが転倒した後は、数週間のあいだ、いつもより少し注意して様子を見ていただければと思います。
理由② 血をサラサラにする薬を飲んでいることが多い
ご高齢の方は、脳梗塞や心筋梗塞を防ぐために「血液をサラサラにする薬(抗凝固薬・抗血小板薬)」を飲んでいることが多くあります。
ワーファリン、バイアスピリン、エリキュース、プラビックス……
こういった薬を飲んでいると、出血がなかなか止まりません。
頭の中で少しだけ血が出るだけで、普通より大きなダメージになります。
「何の薬を飲んでいるか」——これは救急隊員にとって非常に重要な情報です。
お薬手帳をお持ちの場合は、必ず一緒に渡していただけると助かります。
理由③ 高血圧があると出血しやすい
今回の方も、高血圧の持病がありました。
血圧が高い状態で頭を打つと、脳の細い血管から血がにじみやすくなります。
現場で計測した血圧は 158/92 mmHg。
正常上限(140/90 mmHg)を超えており、転倒の衝撃が加わったことで、出血リスクがさらに重なっていました。
転倒直後は緊張や興奮で血圧がさらに上がっていることも多く、そうしたリスクが積み重なります。
「血をサラサラにする薬」を飲んでいるかどうかが、頭部外傷のリスクを大きく左右します
通行人の119番が命をつなぎました
今回の事案で、もう一つお伝えしたいことがあります。
倒れている男性を発見されたのは、近くを歩いていた見知らぬ方でした。
「大丈夫ですか?」と声をかけて、すぐ119番を押してくださった。
もし誰も通りかからなかったら——と思うと、胸が痛くなります。
もし「意識があるから自分で連れていける」と思って、自家用車で病院に向かっていたら。
搬送中に急変しても、何も対応できません。
救急車の中では、血圧・脈拍・酸素濃度(SpO2)をずっと監視しながら病院に向かいます。
痛みや不安を抱えながらも意識をしっかり保っていた男性を、最善の体制で搬送できたのは、その方が119番を押してくださったおかげです。
搬送の準備を整えていると、その方が小声で言いました。
「本当に呼んでよかったのか、少し不安で......」
「呼んでいただいて、ありがとうございました。頭の中で何が起きているかは、外からは見えません。早く対応できたのは、あなたが電話してくださったからです」
その方は、少し安堵されたような表情を浮かべてくださいました。
「救急車を呼ぶかどうか迷っている」という時間が、致命的になることがあります。
迷ったら、まず電話してください。
通りすがりの一人が立ち止まって119番を押した——それだけのことが、命をつなぎました
「脳外科のある病院」への直接搬送が転院ロスをなくします——時間を無駄にしない搬送がカギです
「迷ったら#7119」——まずは電話で相談するだけでいいのです

