3. 検査の前に——電話の向こうが、手順を教えてくれます
ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。
心肺蘇生のやり方を、覚えていなくていいんです。
指針2025は、「改訂の要点」のなかで、市民の心情をこう書いています。
市民にとって心肺蘇生を開始することは勇気がいることで、判断に迷い、ためらってしまうことは珍しくありません。
**「珍しくありません」。**国の指針が、そう認めています。そのうえで、こう続きます。
しかし、仮に心停止でない傷病者に胸骨圧迫を行ったとしても、傷病者に大きな害を与えることはまれなので、本書では、反応があるかどうかや、普段どおりの呼吸かどうかの判断に迷った場合もためらわずに胸骨圧迫を開始することの重要性をさらに強調しています。反応があるかどうか迷ったときでも119番通報をすれば通信指令員から、次にどうしたらよいのか具体的な助言をもらえます。
さらに、同じ章に、こうあります。
胸骨圧迫のやり方がわからないときには119番通報をすれば通信指令員から、その場で教えてもらうこともできます。
「やり方がわからないときには」。
電話口で「やり方を覚えていません」と言っていいんです。指令員は、そのために電話の向こうにいます。119番で最初に聞かれることは119番通報、電話に出た瞬間に聞かれる7つのことにまとめました。全部答えられなくても救急車は出ます。
そして指針の序文には、私がいちばん好きな一文があります。
実際の救急蘇生法では、手順や手技の正確さよりも、急変した傷病者の命を守るために「何か役立つこと」を迅速に始めることが大切です。もし目の前で倒れた人に遭遇したら、臆せず躊躇せず、覚えていることをわずかでも実施してあげてください。
**「覚えていることをわずかでも」。**満点でなくていい、と書いてあります。
まず119番。手順は、つながってから教えてもらえます(写真はイメージです)
4. 傷病名は「心肺停止」でした
この事案で記録に残る傷病名は、**心肺停止(心肺機能停止)**です。
ただ、ここは正直に書いておきたいところです。
「心肺停止」は、病名ではありません。心臓と呼吸が止まっている、という状態の名前です。なぜ止まったのかは、この名前からはわかりません。そして救急隊は診断をしませんから、現場で原因が確定することはありません。
ご家族から「結局、何の病気だったんですか」と聞かれることがあります。その答えを持っているのは病院であって、私たちではありません。
心臓が動き出す(自己心拍再開)ことについては、昨日の記事「AEDの前に、胸を拭いてください」——傷病名は「溺水」でしたに書きました。心臓は、戻ることがあります。そして、もう一度止まることもあります。
「最後に普通に話したのはいつか」は、家族しか知りません(写真はイメージです)
5. 心肺停止とは——数字で見ると、何が起きているか
消防庁『令和7年版 救急・救助の現況』(令和6年中のデータ)から、そのまま引きます。
令和6年に全国の救急隊員が搬送した心肺機能停止傷病者14万88人のうち、7万2,720人(51.9%)に一般市民による応急手当が実施された。
14万88人のうち、51.9%。
言い方を変えると、半分近くは、そばにいた人が手を出せていないということです。
これを読んで、「なぜやらなかったのか」と思ってほしくありません。私が伝えたいのは逆で、手が出せなかった人は、あなただけではないということです。指針が「ためらってしまうことは珍しくありません」と書いているのは、この現実を知っているからだと思います。
効果についても、同じ資料に書かれています。
全国の救急隊が搬送した全ての心肺機能停止傷病者のうち、救急隊が到着するまでに一般市民により応急手当が実施された場合の傷病者の1か月後の生存者数の割合は6.6%で、応急手当が実施されなかった場合の割合5.6%と比較すると約1.2倍救命効果が高い。
心原性かつ心肺機能停止の時点が一般市民により目撃された傷病者で、救急隊が到着するまでに一般市民により応急手当が実施された場合の傷病者の1か月後の生存者数の割合は15.3%で、応急手当が実施されなかった場合の割合7.9%と比較すると約1.9倍救命効果が高い。
1.2倍と、1.9倍。
この2つの差が、この記事の大事なところです。「心原性で、かつ倒れる瞬間を市民が目撃した」人(2万7,769人)では、効果が1.9倍に上がります。けれど全体で見ると1.2倍です。
そして消防庁は、「目撃なし」の人数も公表しています。
- 心原性 9万1,094人のうち、目撃あり3万4,836人に対して、目撃なしは5万6,258人
- 非心原性 4万8,994人のうち、目撃あり2万483人に対して、目撃なしは2万8,511人
どちらの区分でも、「目撃なし」のほうが多いというのが、この国の心停止の実際の姿です。(合計値は消防庁が出していないので、ここでも足していません。)
**寝床で見つかる心停止は、この「目撃なし」に入ります。**テレビや記事で見る「AEDで助かった」という話の多くは、目撃のあった心停止の話です。家の中で起きることは、その外側にあることが少なくありません。
だからといって、意味がないという話ではありません。全体でも1.2倍です。そして数字がどうであれ、手を出せることは、そこに居合わせた人にしかできません。
そして、心停止は「家」でいちばん多く起きています
令和6年中に救急搬送された心肺機能停止傷病者を事故発生場所別にみると、住宅で発生した割合が9万4,233 人(67.3%)で半数を超えており、続いて公衆出入場所が3万3,247 人(23.7%)、道路6,252 人(4.5%)となっている。
内訳では、**居室が6万5,156人(46.5%)**でもっとも多く、次いで浴室1万1,678人(8.3%)です。
**心停止のいちばん多い現場は、病院でも道路でもなく、家の居室です。**そしてそこに居合わせるのは、救急隊ではなく家族です。
AEDについても書かれています。
なお、心肺機能停止傷病者のうち、1万5,802人(11.3%)に一般市民によりAEDパッドが貼付され、うち2,264人に除細動が実施された。
家庭にAEDはありません。だから家では、119番と胸骨圧迫が家族の手にある方法です。AEDが置かれているのに使われない現実はAEDは、必要な場所にあるのに使われていないに書きました。
ここから先は、病院の仕事です(写真はイメージです)
6. 避けるには——家の中で、先に決めておける3つ
心停止そのものを家庭で予防する方法を、私は書けません。原因が特定できないからです。
けれど、起きたときに動けるようにしておくことは、今日できます。
① お薬手帳と持病のメモを、家族全員が場所を知っている所に置く
持病のある方が家にいるなら、これがいちばん効きます。冷蔵庫でも、玄関でもかまいません。本人が説明できない状態で運ばれるのが、いちばん多い形だからです。
② 「最後に普通だった時刻」を思い出す習慣をつける
朝食を一緒にとった時刻。テレビの音が聞こえていた時刻。日常のできごとの時刻が、そのまま情報になります。
③ 一度でいいから、胸骨圧迫を手で体験しておく
指針は「覚えていることをわずかでも」と書いていますが、わずかでも覚えているためには、一度は触っておく必要があります。講習の中身と時間は「3時間も、何をやるんですか」——救命講習のゴールにまとめました。入門コースは45分からあります。
備えは、道具ではなく置き場所と時刻の記憶です(写真はイメージです)
7. 家族へ——「間に合わなかった」と思っている方に
ここは、救急救命士として、どうしても書いておきたいところです。
家で心停止の人を見つけたご家族は、ほぼ全員が自分を責めます。「もっと早く様子を見に行っていれば」「やり方がわからなくて、何もできなかった」。搬送の途中でも、病院に着いてからも、その言葉を聞きます。
そのときのために、この記事を残しておきます。
- **手順を覚えていないのは、普通です。**指針が「わからないときには通信指令員から教えてもらえる」と書いているのは、覚えていない人が多数派だからです
- ためらったことも、責められるものではありません。「ためらってしまうことは珍しくありません」と国の指針に書いてあります
- **半分近くの人が、手を出せていません。**あなただけではありません
- **倒れる瞬間を見ていなかったことは、あなたの落ち度ではありません。**家の中で起きる心停止は、多くがそういう形です
そして、手を出したご家族へ。
指針2025には、こう書かれています。
心肺蘇生とAEDの手順は、救急隊員と交代するまで何度でも繰り返してください。効果がなさそうに思えても、あきらめずに続けることが大切です。
**「効果がなさそうに思えても」。**あの時間の長さを、国の指針も知っているということです。
実際に人の手がつないだ場面は夜7時の介護施設で心臓が止まったに書きました。呼ぶかどうかで迷う場面の全体像は救急車を呼ぶべき7つのサインに、朝に返事がない場面のもうひとつの形は「起きてこないな」と思いながら声をかけたら、返事がなかったにあります。
責められているのは、あなたではありません(写真はイメージです)
8. 書かなかったこと
正確さのために、確認できなかったので書かなかったことを挙げます。
- この事案の原因・死因——救急隊は診断をしません。持病があったことは事案の情報にありますが、それが原因だったとは書けません。時刻・場所・季節も匿名化のため書いていません
- 「目撃なし」の合計人数——消防庁は心原性と非心原性を別々に公表しており、2つを足した合計値は示していません。この記事でも足していません
- 「◯分で助からなくなる」——今回参照した一次資料に、この形の記述はありません
- 寝床から床に下ろすべきか——『救急蘇生法の指針2025(市民用)』に、成人の胸骨圧迫で硬い床に移すよう求める記述は見つかりませんでした(同書で「硬め」が出てくるのは乳児の睡眠環境の項です)。見つからなかったので書いていません
- 看取りや、蘇生を望まない意思表示との関係——制度と気持ちの両方が関わる話で、今回の資料では扱えませんでした
まとめ
家の寝床で、返事のない家族を見つけたとき。
見え方にだまされない
- しゃくりあげるような呼吸は「普段どおりの呼吸」ではない
- 引きつるような動きは「反応なし」
やり方は、覚えていなくていい
- 119番につながれば、通信指令員がその場で教えてくれる
- 迷った場合もためらわずに胸骨圧迫を——心停止でない人に行っても大きな害はまれ
- **「覚えていることをわずかでも」**でいい
数字が言っていること
- 心肺機能停止 14万88人のうち、市民の応急手当は51.9%——半分近くは手が出せていない
- 応急手当があると1か月後生存は 6.6% vs 5.6%(約1.2倍)、心原性かつ目撃ありでは 15.3% vs 7.9%(約1.9倍)
今日できる備え
- お薬手帳の置き場所を家族で共有する
- **「最後に普通だった時刻」**を言えるようにしておく
- 一度でいいから胸骨圧迫を手で体験しておく(入門コースは45分から)
家の中で人が倒れるとき、そこに居合わせるのは、たいてい家族です。救急隊ではありません。
**その数分を埋められるのは、そこにいる人だけです。**そして、埋められなかったとしても、それはあなたの落ち度ではありません。
この記事が、どちらの方にも届けばと願っています。
あわせて読みたい
その日の家も、いつもどおりに明るくなりました(写真はイメージです)
手順より先に、そばにいることから始めてかまいません(写真はイメージです)
本記事は一般的な情報提供であり、医療診断に代わるものではありません。実際の症状については必ず医療機関にご相談ください。
※プライバシー保護のため、実際の事案を元に、年齢(10歳幅)・発生日時・発生場所など、個人が特定できる情報を改変または省略しています。
参考