夏の午後、119番が入りました。通報したのは、スーパーの店員さんでした。
「お客さんが、駐車場で倒れて……」
現場に着くと、70代の男性が、買い物カートのそばで座り込んでいました。そばには、通報してくれた店員さんが付き添っていました。
「手足に力が入らない」——本人は、その理由を説明できませんでした(写真はイメージです)
「どうされましたか」
「……買い物してたら、急に、手も足も力が入らんようになって」
意識ははっきりしています。会話も普通にできます。ただ、立ち上がろうとすると、うまく力が入らない。
そして、体温を測ると——36.6℃。平熱でした。
診断は、熱中症でした。
現場で見たもの
到着時の様子を、記録から整理します。
- 意識は清明(JCS 0)。名前も、日付も、場所も正確に答えられる
- 手足に力が入りにくい。ただし四肢とも挙げられるし、保持もできる(片側だけ、ではない)
- 脈は104回/分(速い)
- 血圧137/100
- SpO2 99%
- 体温36.6℃
数字だけ見れば、「大したことはなさそう」に見えます。実際、この方は搬送先で軽症と判断され、その日のうちに帰宅しています。
でも、私が現場でいちばん引っかかったのは、**「体温が平熱なのに、手足に力が入らない」**という組み合わせでした。
「体温が高くないから熱中症じゃない」は、間違いです
熱中症というと、多くの人がこう考えます。
汗だくで、顔が真っ赤で、体が熱くなっているもの
でも、環境省の「熱中症の応急処置」のフローには、熱中症を疑う症状として、こう並んでいます。
めまい・失神・筋肉痛・筋肉の硬直・大量の発汗・頭痛・不快感・吐き気・嘔吐・倦怠感・虚脱感・意識障害・けいれん・手足の運動障害・高体温
注目してほしいのは2つです。
- **「虚脱感」「手足の運動障害」**が、はっきり入っている
- 「高体温」は、並んでいる症状のうちのひとつにすぎない
さらに、熱中症の重症度分類(I度・II度・III度)を見ると、どの度数にも体温の数値基準は入っていません。環境省のマニュアルは、判定について明確にこう書いています。
重症度を判定するときに重要な点は、意識がしっかりしているかどうかです。
体温の数字で線引きされているのは、日本救急医学会の『熱中症診療ガイドライン2024』で新しく設けられたIV度(深部体温40.0℃以上かつGCS≦8)、つまり最重症の枠だけです。
言いかえると、体温計の数字は、熱中症かどうかを決める入口にはなっていないということです。
アスファルトの照り返しは、屋外にいた時間以上に体を消耗させます
たとえるなら「ガス欠」と「オーバーヒート」
わかりやすく言うと、暑さで体に起きることは、2種類あります。
- オーバーヒート:体の温度が上がりすぎる
- ガス欠:汗で水分と塩分が出ていって、体を動かす材料が足りなくなる
車でいえば、エンジンが熱くなりすぎるのがオーバーヒート、ガソリンが減って走れなくなるのがガス欠です。どちらも「車が止まる」ことに変わりはありません。
大事なのは、体温計で見えるのはオーバーヒートのほうだけということです。ガス欠のほうは、体温計には映りません。
だから、覚えておいてほしいのはこれです。
体温計は、熱中症の入口ではない。
体温が平熱でも、暑い日に「力が入らない」「だるい」「気持ち悪い」が出たら、熱中症を疑ってください。
「だるい」「力が入らない」は、軽い側の症状ではありません
ここも誤解されがちなところです。環境省の重症度分類では、
- I度(軽症):めまい、立ちくらみ、生あくび、大量の発汗、筋肉痛、筋肉の硬直(こむら返り)
- II度(中等症):頭痛、嘔吐、倦怠感、虚脱感、集中力や判断力の低下
——となっていて、「倦怠感」「虚脱感」はI度ではなくII度、つまり「医療機関へ」の側に書かれています。マニュアル本文でも、中等症にあたる熱疲労の症状として「全身の倦怠感や脱力」が挙げられています。
「なんとなくだるいだけ」「力が入らないだけ」は、軽いから様子を見ていい症状ではない、というのが公的な分類の立場です。
総務省消防庁のリーフレットでも、**「運動障害(普段通りに歩けないなど)」には「急いで救急車を要請」**と書かれています。
「力が入らない」で、もうひとつ考えるべき病気
ここは、この記事でいちばん大事なところです。
「手足に力が入らない」という症状は、脳卒中でも出ます。
日本脳卒中協会は、脳卒中の主な症状の1つ目に、こう挙げています。
片方の手足・顔半分の麻痺・しびれが起こる(手足のみ、顔のみの場合もあります)
読んでほしいのは、最初の3文字です。「片方の」。
「片方だけか、両方か」。家族がその場で見られる、いちばん大きな違いです
今回の男性は、両方の手足に力が入りませんでした。片側だけが動かない、というかたちではありませんでした。
ここで、はっきりさせておきたいことが2つあります。
① 片側だけおかしいなら、まず脳卒中を疑って、すぐ119番 顔のゆがみ、片方の腕が上げていられない、ろれつが回らない。このどれかがあれば、脳卒中の合言葉「ACT FAST」の出番です。詳しくは起床時の右半身の麻痺の話に書きました。
② でも、「両側だから脳卒中ではない」とは言い切れない これは素人判断で除外していい話ではありません。私たち救急隊も、現場で病名を確定させることはしません。**やることは同じで、「いつもと違う」なら呼ぶ。**それだけです。
見分けるための知識は、呼ばない理由を探すためではなく、呼ぶ判断を早くするためにあります。
環境省の「4つのチェック」——街でも家でも使えます
環境省の応急処置フローは、順番に4つ確認するかたちになっています。家庭でも、お店でも、そのまま使えます。
チェック1:熱中症を疑う症状がありますか? (めまい・失神・筋肉痛・筋肉の硬直・大量の発汗・頭痛・不快感・吐き気・嘔吐・倦怠感・虚脱感・意識障害・けいれん・手足の運動障害・高体温)
チェック2:呼びかけに応えますか? → いいえなら、救急車を呼ぶ。
呼ぶかどうかで迷った時間は、そのまま到着の遅れになります
チェック3:水分を自力で摂取できますか? → はいなら水分・塩分を補給する。いいえなら、医療機関へ。
補給するものについても、同じマニュアルに具体的に書かれています。
大量の発汗があった場合には、汗で失われた塩分も適切に補える経口補水液やスポーツドリンク等が最適です。食塩水(水1ℓに1 ~2g の食塩)も有効です。
**水だけではありません。**汗で出ていくのは水分と塩分の両方です。ペットボトルの水しかないときは、水1リットルに 食塩1〜2グラムという目安を覚えておいてください。
チェック4:症状がよくなりましたか? → はいならそのまま安静にして十分に休息をとり、回復したら帰宅。いいえなら、医療機関へ。
このフローの重要な点は、判断の軸が体温ではなく「意識」と「自力で飲めるか」になっていることです。
そして、同じ資料にはこうも書かれています。
「呼びかけや刺激に対する反応がおかしい」、「答えがない( 意識障害がある)」時には誤って水分が気道に流れ込む可能性があります。(中略)これらの場合には、口から水分を飲んでもらうのは禁物です。
意識がはっきりしない人に水を飲ませると、気管に入ってしまう危険があります。**返事があやしい人には、飲ませない。**ここは徹底してください。
救急車を待つ間も、涼しい場所へ移して服をゆるめ、体を冷やします
体を冷やす場所についても、フローに明記があります。
氷のう等があれば、首、腋の下、太腿のつけ根を集中的に冷やしましょう
首・わきの下・太もものつけ根。太い血管が通っているところを冷やします
通報したのが「家族ではなかった」という話
今回、119番したのは家族ではありません。その場に居合わせた、見ず知らずの店員さんでした。
そして、救急隊が到着するまで、その方はずっと付き添ってくれていました。
これは、とても大きなことです。環境省のフローにも、こう書かれています。
本人が倒れたときの状況を知っている人が付き添って、発症時の状態を伝えましょう
私たち救急隊が現場でいちばん知りたいのは、**「倒れる前、どうだったか」**です。本人は、意識がはっきりしていても、自分がどう見えていたかは説明できません。
今回も、店員さんが教えてくれました。「店内を歩いているときから、ふらふらしていた」「レジのあとで、しゃがみ込んでいた」。この情報が、そのまま病院に引き継がれます。
涼しい店内でも、そこに来るまでの道と、帰りの駐車場があります
知らない人でも、119番していい。
「他人のことで呼んで、迷惑じゃないか」と考える方は多いです。でも、環境省のマニュアルは、熱中症で病院に運ぶかどうかの判断を、はっきり**「周囲の人が判断」**すると書いています。倒れている本人が自分で判断できないからこそ、そう書かれているのです。
そして消防庁のリーフレットにも、こうあります。
体調に異変を感じた場合は、無理せず119番通報をしてください。
呼ぶかどうかを、その場にいる人がひとりで背負い込む必要はありません。
判断に迷う段階なら、#7119(救急安心センター)という相談窓口もあります。
「軽症で帰宅」は、呼び損ではありません
この男性は、病院で処置を受けて、その日のうちに帰宅しました。記録上は「軽症」です。
こう聞くと、「じゃあ救急車はいらなかったのでは」と思う方がいます。
違います。
**軽症だったとわかるのは、診てもらったあとです。**現場では、誰にもわかりません。座り込んでいる70代の方が、熱中症なのか、脳卒中なのか、心臓なのか、その場で見分ける方法はないのです。
そして、熱中症は進む病気です。フローのチェック4が「症状がよくなりましたか」で終わっていて、「いいえ」なら医療機関へ、となっているのは、時間が経つと悪くなることがあるからです。
水だけでは足りません。汗で失われるのは、水分と塩分の両方です
実際、消防庁の令和7年の確定値では、熱中症の搬送のうち**軽症が63.1%**と、いちばん多い区分です。呼んで軽症で終わるのは、例外ではなく、いちばんよくある結末です。
そして環境省のフローも、最後は「そのまま安静にして十分に休息をとり、回復したら帰宅しましょう」で終わっています。帰宅は、フローどおりの正しい着地です。
「呼んだけど軽症だった」は、いちばんいい結末です。逆はありません。
37℃台前半。数字だけ見れば「熱はない」。それでも熱中症は起こります
「行きは元気だった」は、帰り道の安全を保証してくれません

