「起きたら右手に力が入らない」——脳梗塞の4.5時間は、目が覚めた時刻からは数えない

「起きたら右手に力が入らない」——脳梗塞の4.5時間は、目が覚めた時刻からは数えない

朝起きたときから右半身に力が入らない——意識ははっきりして歩けるのに、時計はもう何時間も進んでいた。70代男性のアテローム血栓性脳梗塞の事案から、rt-PA静注療法の「4.5時間」の起算点、救急隊が「近い病院」ではなく脳卒中の専門病院を選ぶ理由、家族が病院で聞かれたときに答えれば十分な理由まで、現役救急救命士が一次資料をもとに中学生にもわかる言葉で解説します。

夏の午後、119番が入りました。通報したのは、70代の男性の奥さんでした。

「夫の右手と右足に、力が入らないみたいなんです」

通報を受けた指令員が、続けて聞きました。

「いつからですか」

「……今朝、起きたときからです」

今朝、起きたとき。

その一言を聞いた瞬間、私は時計を見ました。すでに、午後も遅い時間でした。

朝の寝室で、ベッドの端に腰かけ、動きの悪い手を反対の手で確かめている男性の手元 「起きたときから、右手が言うことをきかない」——この時点で、時計はもう何時間も進んでいます(写真はイメージです)

なぜその瞬間に「まずい」と思ったのか。この記事は、その理由を、中学生の家族が読んでも「そういうことか」となる言葉でまとめたものです。


そもそも脳梗塞ってなに?——「脳の停電」だと思ってください

脳梗塞(のうこうそく)は、脳の血管が詰まって、その先に血が流れなくなる病気です。

家のたとえで言うと、こうなります。

  • 脳の血管=家の中を走っている電線
  • 血液=電線の中を流れる電気
  • 脳の細胞=電気で動く家電

電線のどこか1本が切れると、そこから先の部屋の家電が全部止まります。テレビが消え、冷蔵庫が止まり、電気がつかなくなる。あれと同じことが脳の中で起きます。

「右手が動かなくなった」というのは、右手を動かす担当の家電(脳の細胞)に、電気が届かなくなったということです。左脳の一部分が止まると、体の右側に症状が出ます。

そして、脳の細胞は、家電と違って電気(血液)が届かない時間が長くなるほど、二度と動かなくなっていきます。冷蔵庫は停電が終われば復活しますが、脳の細胞は止まっている時間が長いと戻ってきません。

これが、脳梗塞が「時間の病気」と呼ばれる理由です。

血管を詰まらせる犯人は、多くの場合、**血のかたまり(血栓=けっせん)**です。水道管に例えると、パイプの内側が汚れて狭くなっているところに、ゴミが引っかかって水が流れなくなる——そんなイメージです。汚れが動脈硬化、ゴミが血栓です。


4.5時間ルールとは?——「血のかたまりを溶かす点滴薬」の使える時間

脳梗塞の急性期治療で有名なのが、tPA(ティーピーエー)という薬です。正式にはrt-PA静注療法(アール・ティー・ピーエー じょうちゅう りょうほう)、日本語だと**血栓溶解療法(けっせんようかい りょうほう)**と呼ばれます。

むずかしい名前ですが、やっていることは1つだけです。

血管に詰まった血のかたまりを、点滴で流し込んだ薬で溶かす。

水道管に詰まったゴミを、パイプクリーナーで溶かすようなイメージです。うまく溶ければ、その先にまた血が流れて、脳の細胞が救われます。

ただし、この薬には厳しい時間制限があります。

国立循環器病研究センターは、この治療の対象を「発症してから4.5時間以内」と説明しています。日本脳卒中学会の「静注血栓溶解(rt-PA)療法 適正治療指針 第三版」でも、この4.5時間が基準です。

なぜ4.5時間なのか。ざっくり言えば、これを過ぎてから薬で無理に血を流そうとすると、すでに傷んでいる脳の血管が破れて、逆に脳の中で出血してしまう危険が高くなるからです。効果より危険のほうが大きくなる、その分かれ目が4.5時間、ということです。

いちばん大事なところ——「4.5時間はいつから数えるのか」

ここが今日、家族に持ち帰ってほしい話の中心です。

日本脳卒中学会の指針には、こう書かれています。

治療開始可能時間を計算する上で基準となる発症時刻とは、「患者自身,あるいは症状出現時に目撃した人が報告した時刻」、あるいはこうした情報が得られない場合では「患者が無症状であることが最後に確認された時刻(最終健常確認時刻)」であり、発見された時刻ではない

そして、こう続きます。

起床時に症状を有していた場合は、就寝前あるいはその途中で無症状であることが確認された時刻となる。

学校のテストでたとえてみます。

朝、目が覚めて右手が動かないことに気づいた。それは「答案用紙を見た時刻」でしかありません。**問題(脳梗塞)が始まったのは、その前の授業中(眠っている間)**のどこかです。時計は、答案を見た瞬間から巻き戻して数えます。

具体例で見ます。

  • 夜11時に眠る前は普通だった → 起点は「夜11時」
  • 4.5時間後は翌朝3時半
  • 朝5時に起きて異変に気づいた時点で、時計はすでに1時間半オーバー

これが、指令を聞いた瞬間に私が緊張した理由です。奥さんは「今朝、起きたとき」と言いましたが、脳梗塞の時計はその何時間も前から動いていた可能性が高い、ということです。

朝の光が差し込む寝室の窓とカーテン 眠っている間は、誰も異変に気づけません。だから「起きたとき」ではなく「眠る前」から時計が動きます

「時間切れ」でも、あきらめないでほしい理由

「じゃあ、寝ている間に起きたら、もう何もできないの?」——ここも、家族に誤解してほしくないところです。

時間切れに見えても、まだできることが2つあります。

1つめは、MRIという画像検査による例外です。

日本脳卒中学会の同じ指針には、こういう推奨があります。

発症時刻が不明な時でも、頭部MRI 拡散強調画像の虚血性変化がFLAIR 画像で明瞭でない場合には発症4.5 時間以内の可能性が高い。このような症例に静注血栓溶解療法を行うことを、考慮しても良い

これはMRIの2種類の写真の写り方のズレから、「これは実は最近詰まったばかりの梗塞らしい」と推測できることがある、という話です。ただし推奨の強さは「考慮しても良い」であって、「打てる」ではありません。打てるかどうかは、あくまで医師が個別に判断します。 家族が「MRIを撮ればいいはず」と主張する場面ではありません。

2つめは、血栓回収療法(けっせん かいしゅう りょうほう)です。

これは、カテーテル(細い管)を足の付け根の血管から入れて、詰まっている脳の血管まで進め、血栓を直接ひっぱり出す治療です。パイプクリーナー(tPA)で溶かすのが間に合わないなら、手を突っ込んでゴミを取り出す、というイメージが近いです。

日本脳卒中学会の「脳卒中治療ガイドライン2021〔改訂2025〕」では、次のようになっています。

  • 原則は、発症から6時間以内にできるだけ早く開始する(推奨度A)
  • 一定の条件(詰まっている血管の場所、MRIやCTでの画像所見など)がそろえば、最終健常確認時刻から24時間以内まで検討できる(推奨度A)

ここも誤解しないでください。「24時間以内ならいい」ではありません。原則はあくまで6時間で、24時間まで検討できるのは条件が合う一部の患者さんに限られます。

そして、いちばん大事なのは、この一文です。

「4.5時間以内」が強調されるあまり、「4.5時間を過ぎた場合は、専門病院で治療してもあまり意味がない」と誤解され、専門病院への受診を躊躇されることが少なくないようです。

これは国立循環器病研究センターが書いていることです。同センターは続けて「脳梗塞発症4.5時間を過ぎても、専門施設でしっかりとした初期治療を始めることが重要」と述べています。

時計を過ぎていても、受診をあきらめる理由にはならない。 家で「もう遅いから様子を見よう」と決めるのは、いちばん危険な判断です。

CT・MRIなどの画像検査装置がある検査室 「発症時刻がわからない」ときこそ、画像による判断が要になります


現場——意識ははっきりしていて、自分で歩けた

事案に戻ります。

到着すると、男性は自宅の居室にいました。

意識はしっかりしていました。JCS(ジェーシーエス)というのは、意識の落ち方を数字で表す物差しで、0がいちばん元気、数字が大きくなるほど反応が悪くなります。男性はJCS0——こちらの問いかけに、はっきり自分の言葉で答えます。名前も、今日の日付も、そこがどこかも、すべて正確に言えました。

そして、自分で立って、歩くこともできました

「大丈夫ですよ、歩けますから」

本人は、そう言いました。実際、右腕も上がります。ただ——上げた腕を、そのまま保っていられない。すっと下がってきてしまう。右足も、動くけれど動きが悪い。話しているうちに、言葉が少しもつれる場面もありました。

血圧164/83、脈70前後、SpO2(血液中の酸素濃度)97%、体温36.1℃。

数字の並びだけを見れば、「重症」に見えないかもしれません。呼吸も落ち着いていて、顔色も悪くない。会話もできる。

でも私は、この時点で完全に脳卒中を疑うモードに入っていました。

理由はシンプルで、片側だけがおかしかったからです。

右手だけ、右足だけ、そして時々ろれつが乱れる——左右で違いがある症状は、脳のどこか一部だけが止まっている合図です。両手両足が同じようにだるいなら疲れや脱水も疑えますが、片側だけがおかしいのは、脳が理由でない限りあまり起こりません。

杖の柄を握っている高齢者の手のアップ 「上がるけれど、保てない」。この差が、家族には見えにくい

奥さんに聞いたこと

私が奥さんに繰り返し確認したのは、症状の細かさではありません。時刻です。

「今朝、起きたときにはもう変だったんですね。何時ごろ起きられましたか」

「5時ごろです」

「その前は。昨夜、寝られるときは、いつもどおりでしたか」

「……はい。何ともなかったです。普通に話して、普通に寝ました」

この「寝る前は何ともなかった」という奥さんの証言が、このあと病院で治療方針を決める材料になります。そばで暮らしている人にしか答えられない質問だからです。


救急隊は、いちばん近い病院に運ぶわけではない

ここは、この記事でいちばん誤解を解いておきたいところです。

一般に「救急車=いちばん近くの病院に運ぶ」と思われがちですが、脳卒中が疑われる場合、私たちはそうしません

救急隊が向かうのは、脳卒中の治療ができる専門の病院です。

なぜ「近さ」より「専門」なのか

シンプルなたとえで言います。

夜中に子どもが高熱を出したとき、家のすぐそばに「歯医者さん」があっても、そこには行きませんよね。歯医者さんは診てくれる病気の種類が違うからです。

脳卒中も同じで、たとえ隣にクリニックがあっても、そのクリニックがtPA(血栓を溶かす薬)を打てる設備・24時間対応・脳の専門医を持っていなければ、治療そのものが始められません。近くに運んで、そこから改めて別の病院に移すほうが、時間を大きくロスします。

だから、脳梗塞の場合は「近い」ではなく「打てる」病院を選ぶ、というのが救急の考え方です。

「一次脳卒中センター」という仕組み

日本脳卒中学会は、24時間365日、rt-PA静注療法をすぐに始められる病院を、**一次脳卒中センター(PSC=ピーエスシー)**として認定しています。

学会の認定要件には、次のように書かれています。

地域医療機関や救急隊からの要請に対して、24時間365日脳卒中患者を受け入れ、急性期脳卒中診療担当医師が、患者搬入後可及的速やかに診療(rt-PA静注療法を含む)を開始できる

さらに、そのなかでも血栓回収療法まで24時間365日いつでも対応できる病院は、PSCコアとして別に認定されています。

数字で言うと、日本脳卒中学会が認定した一次脳卒中センターは全国で約950施設、そのうちPSCコアは約330施設あります(日本脳卒中学会の公表一覧より、2026-08-09時点で当方が集計。学会は全国合計値を明示していないため、記事では「多数」「約950」といった表現にとどめています)。

救急隊は、地域のルールに従って選んでいる

平成21年に消防法が改正され、都道府県ごとに「傷病者の搬送及び受入れの実施に関する基準」を作ることが義務づけられました。総務省消防庁の検討会報告には、こう書かれています。

生命に直結する脳卒中や心筋梗塞(急性冠症候群)が疑われる場合…救命救急センター、または、傷病者の症状等によっては、専門性が高い二次救急医療機関で対応することについて調整し、体制を構築しておく必要がある

脳卒中については、治療が開始されるまでの時間が、予後に大きく影響を及ぼすため分類することが考えられる。さらに、脳梗塞について、迅速に治療を開始するために、医療資源の状況に応じてt-PA適応疑いを分類することも考えられる

具体的には、消防本部で「脳卒中の疑いあり」と判断された段階で、救急隊は病院前脳卒中スケール(顔・腕・言葉のチェックを現場でやる短い評価)を使って絞り込み、**一次脳卒中センターへまっすぐ搬送する仕組み(Stroke Bypass)**が全国で整備されています。

つまり、119番したあとの病院選びは、救急隊と地域のシステムが担当します。

だから、家族に伝えたいこと

119番したら、家族が「ここに運んでほしい」と病院を指定する必要はありません。

救急隊は、その地域で脳卒中を診られる病院、しかも受け入れ可能な病院を、その場で調整して選びます。かかりつけがある方は「◯◯病院にかかっています」と伝えていただければ参考にしますが、最終的な搬送先の判断は、救急隊が地域のルールに沿って行います

家に「近い病院」に運ばれなくても、それは間違いではなく、むしろ「打てる病院」を選んだ結果です。ここは信頼して任せてください。

雨の夜、ヘッドライトが照らす路面 搬送中にできる最大の準備は、病院に渡す「時刻」と「持病」の情報整理です


病院に着いたあと——引き継ぎは救急隊がする、家族は聞かれたら答える

病院に着いてからのことも、少し書いておきます。

病院に到着すると、救急隊が処置室で、医師や看護師に対して、現場からのすべての情報を一括で申し送ります

  • いつ、何時ごろ症状が出たか(または最終健常確認時刻)
  • 現場での様子(意識、麻痺の左右、言葉の状態)
  • バイタル(血圧・脈・SpO2・体温・血糖の推移)
  • 既往歴(過去の病気)、飲んでいる薬
  • 家族から聞いた情報

これは救急隊の標準的な仕事で、消防庁の救急活動記録票にも、これらの項目を書き込む欄が最初から用意されています。総務省消防庁の「令和6年版 救急・救助の現況」では、通報から医師に引き継ぐまでにかかった時間の平均が全国で約45.6分と公表されており、「医師への引き継ぎ」は制度上、救急隊の仕事として明確に位置づけられています。

家族は「その場で全部説明する係」ではない

病院に着いた瞬間、家族はとても動揺しています。その動揺のまま、医師に一気に説明する必要はありません

大まかな流れはこうです。

  1. 救急隊が、まず医師にひととおり申し送りをする
  2. 医師が、そのなかで気になる点や不足している点を、家族に追加で聞く
  3. 家族は、覚えている範囲で、聞かれたことに答える

学校の授業でたとえるなら、先生が代わりに前でノートを発表してくれるようなものです。あなた(家族)は、先生が終わったあと、「あそこはどうだった?」と聞かれたら思い出せる範囲で答えれば十分。最初から全部一人で発表する必要はありません。

とはいえ、家族しか答えられない質問はいくつかあります。

  • 「最後に、いつもどおりだったのはいつですか」
  • 「持病はありますか」「薬は何を飲んでいますか」
  • 「今朝は何時に気づきましたか」
  • 「家に届いていた(血栓を溶かす薬に関係する)薬はありませんか」

こうした質問は、救急隊も現場で聞きますが、病院でも改めて確認されます。そばで暮らしていた家族の証言が、そのまま治療方針の材料になります

答えられないことは「わかりません」で構いません。あいまいに「たぶん」で答えるより、「わからない」のほうが医師の役に立ちます

スマートフォンを手に持ち、画面を操作している手元 通報のとき、「いつから」と同じくらい「その前はいつまで大丈夫だったか」が大事です

家族が握っている、いちばん重要な情報

それは、繰り返しますが、**「最後に、いつもどおりだったのはいつか」**です。

救急隊も、病院の医師も、この情報を自力では手に入れられません。本人が眠っている間の様子を知っているのは、そばにいた家族だけです。

日本脳卒中学会が監修し、日本脳卒中協会が協力した市民向け資料には、確認すべき時刻が3つ、はっきり書かれています。

  1. 発症した(本人の症状が出現した)時刻
  2. 発見した(周りの人が症状を見つけた)時刻
  3. 最後に無事(何事も普段どおり)だった時刻

家族が答えられるようにしておくのは、この3つです。とくに3つ目——「最後に無事だった時刻」が、起床時発症では決定的になります。

「昨夜10時に一緒にテレビを見ていたときは普通でした」「夜中2時にトイレに起きたときは、普通に歩いていました」——こうした一言が、時間枠の計算を大きく変えることがあります。夜中に一度でも受け答えができていたなら、それは起点が後ろにずれるという意味を持ちます。


「歩けるから大丈夫」がいちばん危ない

今回の男性は、意識がはっきりしていて、自分で歩けました。だからこそ、家の中で半日近く様子を見る形になってしまった。

ここで押さえておきたいのは、「意識がある=軽い」ではないということです。

先ほどの「脳の停電」のたとえで言えば、家中の電気が全部消えている(意識がなくなる、倒れる)のは、脳のかなり広い範囲が止まっている状態です。でも実際には、キッチンの電気だけが消えている(右手だけ動かない、片方の口だけゆがむ)状態から始まることのほうが多いのです。テレビもエアコンも動いているので、家族から見ると「そこまで悪くなさそう」に見えてしまう。

国立循環器病研究センターは、脳卒中の症状についてこう説明しています。

これら症状のうち、1つだけの症状が出現することもありますし、いくつかの症状が重なる場合があります。また、重症な場合には意識が悪くなることもあります。

脳卒中以外の病気でも、このような症状が突然現れる場合がありますが、「普段の様子とは明かに違う」のであれば、緊急で病院を受診する方が無難です。

意識の低下は「重症な場合」に現れるものとして書かれています。裏を返せば、意識がはっきりしていることは、脳梗塞を否定する材料にはなりません

日本脳卒中協会は、脳卒中の主な症状として次のように挙げています。

  • 片方の手足・顔半分の麻痺・しびれが起こる(手足のみ、顔のみの場合もあります)
  • ロレツが回らない、言葉が出ない、他人の言うことが理解できない
  • 力はあるのに、立てない、歩けない、フラフラする
  • 片方の目が見えない、物が二つに見える、視野の半分が欠ける
  • 経験したことのない激しい頭痛がする

「意識がなくなる」も「倒れる」も、脳卒中を疑うための条件には入っていません。

総務省消防庁が「ためらわず救急車を呼んでほしい症状」として挙げている脳卒中のサインも同じです。

● 顔半分が動きにくい、しびれる ● 笑うと口や顔の片方がゆがむ ● ろれつがまわりにくい ● 突然のしびれ ● 突然、片方の腕や足に力が入らなくなる

片側だけがおかしい。それだけで、救急車を呼ぶ理由になります。

落ち着いた表情でこちらを見ている高齢の男性 顔の左右差、口角の下がり、笑ったときのゆがみ。家族なら気づけるサインです

家庭で使える合言葉「ACT FAST(アクト・ファスト)」

家庭で確認する合言葉が「ACT FAST(アクト・ファスト)」です。日本脳卒中学会が監修した資料に、こう書かれています。

顔(Face)、手(Arm)、言葉(Speech)の異常が突然現れたら脳卒中を疑い、症状が出た時刻(Time)を確認して、急いで(FAST)、行動(ACT)。脳卒中かな、と思ったら、すぐに救急車を呼びましょう。

かんたんに書き直すと、こうです。

  • F(Face・顔)「にっ」と笑ってもらってください。片側の口角が上がらない、片側だけたるむ——それがサインです
  • A(Arm・腕)両腕を前にまっすぐ上げてもらい、10秒キープ。片方だけすっと下がってくる——それがサインです
  • S(Speech・言葉)「今日は良い天気」など短い文を復唱してもらう。ろれつが回らない、言葉が出ない、意味が通じない——それがサインです
  • T(Time・時刻):どれか1つでも当てはまったら、「いつから」を確認して、すぐに119番

今回のケースを当てはめると、こうなります。

見るところ 今回の男性
顔(Face) はっきりしたゆがみは目立たなかった
腕(Arm) 上げられるが、そのまま保てない(右)
言葉(Speech) 受け答えは正確。ただし呂律が乱れる場面があった
時間(Time) 気づいたのは朝。就寝前は何ともなかった

顔がはっきりゆがんでいなくても、3つのうち1つでも当てはまれば、それで十分です。

とくに腕は、「上がるかどうか」だけを見ると見逃します。両腕を前に上げて、そのまま10秒保てるかまで見てください。片方だけすっと下がってくるなら、それがサインです。


なぜ「起きたとき」だったのか——糖尿病と高血圧

この男性には、糖尿病と高血圧の既往がありました。搬送先で付いた診断名は、アテローム血栓性脳梗塞でした。

アテローム、血栓性、と難しい言葉が並びますが、**「動脈硬化で血管の内側がボコボコに狭くなって、そこにゴミ(血栓)がひっかかる」**タイプの脳梗塞、と思ってください。

水道管でたとえるなら、古くなって内側にサビや汚れがびっしりついたパイプが動脈硬化、そこに引っかかったゴミが血栓です。パイプが新品ならゴミも通り抜けられますが、内側が狭くなっているとゴミがはまって水が止まる——それが脳の血管で起こったのが、アテローム血栓性脳梗塞です。

国立循環器病研究センターは、脳梗塞のタイプを「ラクナ梗塞」「アテローム血栓性脳梗塞」「心原性脳塞栓」「その他の脳梗塞」に分類され、それぞれ全体の約1/4の割合と説明しています。

そして、血管の内側を狭くする(動脈硬化を進める)大きな原因として代表的なのが、高血圧と糖尿病です。同センターは、脳卒中の「最大の危険因子は高血圧です」とはっきり書いています。

腕にカフを巻き、上腕式の血圧計で血圧を測っている手元 血圧と血糖の管理は、「いつか」ではなく今日の予防そのものです

糖尿病については、数字もあります。国立がん研究センターの多目的コホート研究(JPHC)では、糖尿病がある人の脳梗塞リスクについて、全脳梗塞で2.65倍、アテローム性脳梗塞で2.58倍(多変量調整ハザード比)という結果が報告されています。同研究は「糖尿病により、大血管に並びに微小血管の障害が起こり、動脈硬化が進み、脳梗塞発症につながるものと考えられます」と説明しています。

日本脳卒中協会が公表している「脳卒中予防十か条」でも、第1条が「手始めに高血圧から治しましょう」、第2条が「糖尿病放っておいたら悔い残る」です。持病の管理は、遠い将来の話ではなく、今日の朝の一本の血管の話だと、私は現場で何度も思い知らされます。

もし家族に高血圧や糖尿病がある方は、この記事のこの部分だけでも共有してください。「起きたときから片側がおかしい」という朝が、その人にも起こりうるということです。


搬送——33分の道のり

現場での処置を終え、搬送を開始しました。車内で観察を続けます。

血圧は147/91から159/103へ。脈は69から98へ。意識は最後まで清明のままでした。

「大丈夫でしょうか」

奥さんが、車内で何度も聞きました。私は、こう答えました。

「今、脳卒中を診られる病院に向かっています。着いたら、ご主人の状態と、寝る前まで何ともなかった時刻を、私から病院にお伝えします。奥さまは、あとで先生から聞かれたことに、覚えている範囲でお答えいただければ大丈夫です」

覚知から病院到着まで33分。診断は、アテローム血栓性脳梗塞。重症と判断され、そのまま入院となりました。

搬送そのものは、速く進みました。間に合わなかったのは、搬送ではなく、家の中の時間です。


家族が今日からできる3つのこと

暗い寝室のナイトテーブルに置かれた目覚まし時計 脳梗塞は「時間の病気」です。数えるのは、目が覚めた時刻ではありません

国立循環器病研究センターは、脳梗塞治療における時間の重さを、こう紹介しています。

Time is brainという言葉があります。脳梗塞治療に対する時間の重要性を謳った言葉です。脳梗塞では1分間治療が遅れると、190万の細胞が失われると言われています。

「1分間で190万個の細胞が失われる」——この数字は「言われています」という形で紹介されているものですが、分単位で失われていくものがあるという感覚は、そのまま持っておいてください。

① 朝の「いつもと違う」を、朝のうちに終わらせない

起きてきた家族の様子が違う——箸が持てない、片側の口から飲み物がこぼれる、言葉が出にくい、まっすぐ歩けない。そのとき、「疲れかな」「寝違えかな」で午前中をやり過ごさないでください。

眠っている間に起きた異変は、誰にも気づかれないまま時間だけが進みます。朝に気づいた異変は、すでに何時間か遅れているかもしれない——だからこそ、その場で判断する必要があります。

② 「歩けるかどうか」で119番を決めない

歩けるから救急車は大げさ、という判断が、いちばん時間を奪います。判断の軸は、歩けるかどうかではなく、片側だけおかしいかどうかです。

顔・腕・言葉のどれかに左右差があるなら、それは119番です。判断に迷う段階の相談窓口として#7119(救急安心センター)もありますが、片側の麻痺がはっきりしているときは、迷わず119番で構いません。

搬送先の病院を家族が指定する必要はありません。「近い」ではなく「打てる」病院を、救急隊が地域のルールで選びます

③ 「最後に何ともなかった時刻」と「持病・薬」をセットで渡す

救急隊も、病院の医師も、必ず聞くのはこの2つです。

  • 最後に、いつもどおりだったのは何時か
  • 持病(高血圧・糖尿病・心房細動など)と、飲んでいる薬

薬は、お薬手帳ごと持っていくのがいちばん速いです。慌てて口頭で説明するより、手帳を1冊持って救急車に乗るほうが確実で、飲み合わせや、tPAが使えるかどうかの判断材料としても役に立ちます。

そして繰り返しですが、家族はその場で全部説明する必要はありません。救急隊が病院に着いたところで、現場からの情報を一括で医師に申し送ります。家族は落ち着いて、あとで医師から追加で聞かれたことに、覚えている範囲で答えれば十分です。

高齢の夫婦が手をつないで並んで立っている手元 いちばん近くにいる人だけが、「昨夜までは何ともなかった」と証言できます


最後に——3行のまとめ

  • **脳梗塞の4.5時間は、目が覚めた時刻からではなく、その人が最後に「何ともなかった」時刻から数える。**眠っている間に始まっていた可能性を、いつも一つ手前にずらして考える
  • **救急隊は「近い病院」ではなく「打てる病院」(脳卒中の専門病院)を選んで運ぶ。**119番したあとの病院選びは、家族が指定しなくて大丈夫
  • **病院での引き継ぎは、まず救急隊が医師に一括で伝える。**家族はそのあと、医師から聞かれたことに、覚えている範囲で答えれば十分

この事案でいちばん大きかったのは、奥さんが「昨夜は何ともなかった」とはっきり言えたことでした。夫が起きてきた時点で異変に気づき、その前の晩の様子まで具体的に説明できた。これは、そばで暮らしている人にしかできない仕事です。

脳梗塞の時計は、私たちの都合では動きません。だから、家族に伝えたいことはひとつです。朝の「あれ、おかしいな」を、昼まで持ち越さないでください。

脳卒中のサインについては、前の日から続く"おかしさ"を見抜くFASTの話脳梗塞のゴールデンタイムの話消えてしまうからこそ危ないTIAの話もあわせてお読みください。

脳梗塞は、治療が終わってからのリハビリと生活の立て直しが本番です。入院費に加えて、通院・介助・仕事の調整といった負担が続くことを前提に、いまの保障が家族の生活に合っているかを一度見ておいてください。

脳卒中の記事は、まとめページから探せます

脳卒中の記事まとめ——「時間の病気」を家族が見抜くために(救命士の現場ノート)


参考文献


※プライバシー保護のため、実際の事案を元に個人が特定できる情報を一部改変しています。

※本記事の内容は一般的な情報提供を目的としており、医療行為・医療診断・治療の指示ではありません。症状がある場合や心配なことがあれば、必ず医療機関を受診してください。緊急の場合は119番に電話してください。

⚠️ 免責事項この記事の情報は一般的な救急知識の情報提供を目的としており、医療行為や医療診断に代わるものではありません。症状がある場合は必ず医療機関を受診してください。生命の危機を感じる症状は、迷わず119番に通報してください。

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