ある夏の夕方、17時台。団地の一室からの119番通報でした。通報したのは、近くに住む親族の方です。
「1週間くらい前から、ほとんど食べていないんです。体じゅうが痛いと言っていて」
この小さな数字が、家族の「なんとなく変」を裏づけることがあります(写真はイメージです)
現場に着いて私たちが測った数字のなかに、ひとつだけ明らかに外れているものがありました。
SpO2 88%。
熱はありません。体温は36.3℃でした。咳もありません。それでも、酸素は足りていませんでした。
この記事では、実際の事案をもとに、高齢の親が「熱も咳もないのに、肺の病気だった」ということが起こるという話と、家族が測れる数字=SpO2をどう使えばいいのかをお伝えします。
事案の経過——夏の夕方、80代女性
時刻:夏の夕方(17時台) 場所:自宅(団地の1階居室) 通報者:近くに住む親族 既往歴:高血圧
訴えは3つでした。「1週間前から食事が摂れない」「体全体が痛い」「両脚に力が入らない」。
どれも、特定の臓器を名指ししない、ぼんやりした症状です。
親族が近くに住んでいても、1週間は過ぎてしまいます
観察した内容:
- 意識:JCS 1-3 / GCS 14(会話がかみ合わないことがある)
- 呼吸:24回/分
- 脈拍:60回/分
- SpO2:88%
- 血圧:116/54 mmHg
- 体温:36.3℃
- 心電図:不整脈あり
酸素マスクで5L/分の酸素投与を開始したところ、SpO2は96%まで改善しました。静脈路を確保し、搬送しています。
覚知17時49分、現場到着17時56分、現場出発18時19分、病院到着18時21分。覚知から病院まで34分でした。
診断は胸膜炎。中等症で入院となりました。
血圧も脈も体温も、大きくは外れていませんでした
血圧116/54、脈60、体温36.3℃——ここだけを見れば「そこまで悪くない人」に見えます。SpO2 88%が、その印象をひっくり返しました。
高齢者は、肺の病気でも「肺の症状」が出ないことがある
ここが、この記事でいちばんお伝えしたい点です。
家族が「呼吸器の病気かもしれない」と考えるきっかけは、たいてい熱と咳です。この方には、そのどちらもありませんでした。
しかしこれは、例外的なことではありません。
日本呼吸器学会は、肺炎の症状についてこう書いています。
咳や、たん、息切れ、胸の痛み、発熱などが一般的にみられますが、高齢者では一般的な症状がみられず、「いつもと様子が変」「ボーっとする時間が多い」「食欲がない」などで発見されることもあります。
「いつもと様子が変」「ボーっとする時間が多い」「食欲がない」。
今回の方は、まさにこれでした。1週間食べられず、会話がかみ合わないことがある(JCS 1-3)状態です。
誤嚥性肺炎についても、同学会は同じ趣旨を書いています。
発熱、咳、膿のような痰が肺炎の典型的な症状です。しかしこれらの症状がなく、なんとなく元気がない、食欲がない、のどがゴロゴロとなる、などの非特異的な症状のみがみられることが多いのが誤嚥性肺炎の特徴です。
つまり、高齢の方の場合、「食欲がない」「元気がない」「ぼんやりしている」こそが、肺の病気の顔をしていることがあるのです。
「食べていない」は、本人が言わなくても見えるサインです
なお、今回の診断は肺炎ではなく胸膜炎でした。日本呼吸器学会は胸膜炎をこう説明しています。
肺の表面をおおう胸膜に炎症が生じると、浸出液が肺内から胸膜を通り抜けて胸腔内へ移動し、胸水が生じます。このために胸痛や呼吸困難などの症状が現れる疾患を胸膜炎といいます。
原因としては**「感染症や悪性腫瘍が多く」、日本では「癌性胸膜炎と結核性胸膜炎が多く、全体の60~70%を占めます」**とされています。風邪の延長線上にある病気とは限らない、ということです。
SpO2は「96〜99%が標準値」——90%以下が意味すること
では、88%という数字はどう受け止めればよいのか。
日本呼吸器学会は、パルスオキシメーターについてこう書いています。
一般的に96~99%が標準値とされ、90%以下の場合は十分な酸素を全身の臓器に送れなくなった状態(呼吸不全)になっている可能性があるため、適切な対応が必要です。
標準値は96〜99%。90%以下は「適切な対応が必要」。
今回の88%は、これを下回っていました。そして酸素を投与したら96%まで戻った。足りていなかったということです。
同学会は、持病がある方についての目安も示しています。
慢性に肺や心臓の病気のある患者さんでは、息苦しさや喘鳴などの症状が強くなり、SpO2が普段の値から3~4%低下した場合は、かかりつけ医に連絡するか受診をしてください。
これは**「慢性に肺や心臓の病気のある患者さん」に向けた記述**なので、誰にでも当てはめられるものではありません。ただ考え方として重要なのは、絶対値だけでなく「普段の値からの下がり幅」を見ているという点です。
酸素を投与したら96%まで戻りました
だからこそ、元気なうちにその人の平常時の値を測っておくことに意味があります。普段が97%の人の90%と、普段から93%の人の90%は、意味が違います。同学会も**「加齢によってもある程度低下し、労作時にも変動します」**としています。
なお、酸素そのものは家庭で扱うものではありません。同学会は呼吸不全の治療について「酸素投与は必須となります」としたうえで、こう注意を添えています。
ただし、Ⅱ型呼吸不全の患者に大量の酸素投与を行うと呼吸が止まってしまうことがあるので、注意が必要です。
**酸素は多ければよいというものではない。**家族の役割は、測ること・伝えること・呼ぶことまでです。
数字を信じすぎないための、4つの注意
正直にお伝えしておかなければならないことがあります。SpO2は、いつも正しく測れるとは限りません。
日本呼吸器学会は、誤差の原因をこう挙げています。
体動によって発光部と受光部がずれる場合や、指先の冷えなどで測定部に血流が十分にない場合、マニキュアなどで光の透過が邪魔される場合などに、正しく測定されないことがあります。
1. 指先が冷えていると、正しく測れない
冬場や冷房の効いた部屋では、まず手を温めてから測ってください。低い値が出たときは、別の指でも測ってみてください。
2. 装着してすぐの数字を読まない
同学会は、読み取りのタイミングまで具体的に書いています。
装着直後ではなく、脈拍が安定する20~30秒後に数値を読んでください。
慌てているときほど、表示された最初の数字を読んでしまいます。20〜30秒待つ。これだけで無用な誤解が減ります。
3. そもそも、この数字には誤差がある
これは意外と知られていません。パルスオキシメーターの値は、ぴったり正確な数字ではありません。
新型コロナウイルス感染症について5つの学会がまとめた診療の指針(2025年)には、酸素療法の項にこう書かれています。
呼吸不全の定義は PaO2 ≦ 60 mmHg(SpO2 ≦ 90%)に相当するが,SpO2 は 3% 程度の誤差が予測されるため,パルスオキシメーターでSpO2 93% を下回る場合は酸素療法を開始する.
**3%程度の誤差が見込まれている。**だからこそ医療の現場では、90%ちょうどではなく、少し手前の値で動き出すように決められています(※これは新型コロナ診療での基準であり、あらゆる病気にそのまま当てはまるものではありません)。
家庭で使うときも同じです。**表示された数字を、小数点以下まで正確な体温計のように扱わないでください。**見るべきは「88か89か」ではなく、「いつもより明らかに下がっているかどうか」です。
4. 数値が正常でも、苦しいことはある
日本呼吸器学会の冊子には、こうも書かれています。
息苦しさ(呼吸困難)の原因の全てが、SpO2値低下(血液中の酸素の量の低下)によるとは限らないので、SpO2値が正常でも息苦しさを感じる場合があります。
さらに、貧血がある場合についても注意があります。
貧血でヘモグロビンが少ない状態では、SpO2値が正常でも血液中の酸素の量は少ない場合があります。
「96%あるから大丈夫」とは言えない、ということです。
そして同学会は、家庭での使用についてこう書いています。
操作自体は簡単で、家庭での購入も可能ですが、測定値のもつ意味はその人の状態やかかっている病気によっても異なるため、測定値の判断は主治医など医療専門の方の指導を仰ぐことをお勧めします。
家庭のパルスオキシメーターは、診断の道具ではありません。「いつもと違うかどうかを知るための、もう一つの目」です。
大事なのは「今日の値」より「その人のいつもの値」です
測れるものは測る。測れないものは、見る
数字は、呼ぶ理由を説明する助けになります
中等症で入院となりました。1週間、待つ必要はありませんでした
「いつもの値」を知っている人が、いちばん早く気づけます

