朝9時前の通報だった。

「義理の母が、しゃべりにくそうにしていて……息も苦しそうなんです」

電話をかけてきたのは、同居している義理の息子さんだった。声は落ち着いていたが、言葉の端に迷いがあった。「1週間くらい前から、胸が苦しいとは言っていたんです」

その一言が、この事案の全部だったと言っていい。


現場——「いつもと違う」の中身

到着したとき、80代の女性は室内にいた。ぐったりして、呼びかけには反応する。ただ、返事が遅い。言葉がはっきりしない

意識レベルはJCS 3——傾眠。目は開けるが、すぐにまた閉じそうになる。呼吸が浅く、速い。手足の先が冷たい。四肢に力が入らない。ただし、左右差ははっきりしない

既往を聞くと、心房細動と高血圧で近くの病院に通院中とのことだった。

そしてご家族が続けた。「1週間前から、胸が苦しい、息が苦しいと言っていました。でも本人が『病院はいい』と言うので……。今日はしゃべりにくそうで、息も昨日よりずっと苦しそうで、それでおかしいと思って」

縁側から差し込む朝の光 「今朝はいつもと違う」——その違和感を言葉にできるのは、毎日同じ屋根の下にいる人だけだ


バイタルが、ものを言っていた

現場から搬送までの約20分あまり、この方のバイタルサインは大きく動いた。

経過 呼吸(回/分) 脈拍(回/分) SpO2 血圧
接触時 24 43(不整) 99% 107
約15分後 32 88% 130
約23分後 44 32(不整) 98%(酸素投与下) 160/107(触診法)

読んでいただきたいのは、呼吸が24→32→44と上がり続けていることと、脈が43→32と落ちていっていることだ。

呼吸が速くなるのは、体が「足りない」と訴えているサインである。それなのに脈は速くならず、逆に遅くなっていく。しかも不整。この組み合わせは、現場では強い警戒信号になる。

SpO2が一時88%まで落ちたため、酸素投与を開始した。数値は戻った。だが、数値が戻ることと、原因が解決することは別の話だ。

心電図を確認すると、心房細動(Af)、そして徐脈だった。

聴診器と血圧計 一度きりの数値ではなく、「どちらへ動いているか」を見る。悪化の方向が見えたら、それが答えになる

この方は、脳卒中疑い・循環器疾患疑いとして、かかりつけの病院へ救急搬送となった。


心房細動が、なぜ脳の血管を詰まらせるのか

ここからは、この事案の背景にある病気の話をしたい。

心房細動は、心臓の上の部屋(心房)が細かく不規則に震えてしまう不整脈だ。日本だけで約100万人弱の患者がいるとされ、高齢になるほど増える。動悸や息切れ、胸の不快感が出ることもあるが、国立循環器病研究センターによれば約半数の心房細動は無症状だ。

問題は、心房がきちんと収縮しなくなることで、心臓の中で血液がよどむ点にある。よどんだ血液は固まりやすい。血のかたまり(血栓)は特に左心房の一部である「左心耳」にできやすい。それが心臓から飛び出して脳の血管を詰まらせる——これが心原性脳塞栓症だ。同センターは、この血栓が脳の血管を閉塞すれば**「生死にかかわる脳梗塞を生じる場合があります」**としている。

リスクの大きさは、数字でも示されている。日本循環器学会・日本不整脈心電学会の2024年ガイドラインは、**「心房細動は脳卒中の発症リスクを約5倍に高める」**と明記している。

同じ「脳梗塞」でも、動脈硬化で血管が細くなって詰まっていくタイプ(アテローム血栓性脳梗塞・ラクナ梗塞)とは、成り立ちがまったく違う。そして、この違いは治療薬の違いにもなる。動脈硬化型に使われるのは主に抗血小板薬、心原性脳塞栓に使われるのは主に抗凝固薬だ。

そして、心原性脳塞栓は珍しいものではないうえに、重い。国立循環器病研究センターは、脳梗塞を4つの型に分けたときそれぞれが全体の約4分の1ずつを占めるとしたうえで、別の資料では**「脳梗塞の約3割を占める心原性脳塞栓症は概して重症で、重い後遺症を残すことが少なくありません」**と述べている。

脳のイメージ 心臓でできた血栓が、脳の太い血管を塞ぐ。心房細動と脳梗塞は、地続きの病気だ


「1週間前から胸が苦しい」は、拾えたサインだった

この事案でいちばん悔しいのは、ここだ。

まず知ってほしいのは、「胸が苦しい」は心房細動そのもののサインとして、公的資料に明記されているということだ。日本脳卒中学会が監修する市民向け資料は、心房細動の症状をこう挙げている。

「どきどきする」、「胸が苦しい」、「階段や坂を上るのがきつい」、「息が切れやすい」、「疲れやすい」

この方が1週間訴えていたのは、まさにこの中の2つだった。

さらに、心房細動があると心不全を発症しやすくなることも分かっている(国立循環器病研究センター)。そして心不全のサインは、地味で、じわじわ来る。

  • 息切れ、呼吸が苦しい
  • 胸が重い、苦しい
  • 疲れやすい、体がだるい
  • 足やすねのむくみ
  • 横になると苦しく、起き上がると楽になる(起座呼吸)
  • 夜中に息苦しくて目が覚める

「1週間前から胸が苦しい」「息が苦しい」——このリストに、そのまま並ぶ。

心不全は、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、階段を降りるように悪化していく病気だ。だから、「少し苦しいけど、今日は落ち着いた」で終わらせた1週間は、静かに進行した1週間でもある。

そしてこの日、しゃべりにくさが加わった。心臓の話に、脳の話が重なった瞬間だった。

**心房細動で通院している家族が「最近、息が苦しい」「胸が重い」と言い出したら、それは次の外来まで待つ話ではない。**かかりつけ医に電話をしてほしい。


脈が遅いことも、放っておけない

もうひとつ触れておきたいのが、徐脈だ。

脈が速いのは危ないと思われやすいが、遅すぎるのも見逃せない。国立循環器病研究センターは、脈が1分間に50以下を徐脈と定義したうえで、**「脈拍が1分間に40以下になると、徐脈による息切れや、めまいなどの症状が出やすくなります」**としている。この事案の脈拍は、43から32へ落ちていった。

原因はいくつかある。心臓のペースメーカーにあたる部分の機能が落ちる洞不全症候群、心房細動に伴う徐脈、そして——薬の影響だ。心房細動の治療では脈拍数を抑える薬(β遮断薬など)や抗不整脈薬を使うことがあり、効きすぎれば脈は下がりすぎる。夏の脱水や腎機能の低下が引き金になることもある。

だからといって、自己判断で薬をやめてはいけない。日本脳卒中学会監修の市民向け資料は、**「処方されたお薬は、お薬手帳で内容と飲み方を確認し、確実に継続して内服しましょう」「お薬を飲みにくい、内服を忘れた、紛失したなど困ったら、すぐに医師・薬剤師に相談しましょう」**としている。

特に抗凝固薬のうちDOACは、ガイドラインが**「半減期が短く服用忘れによる効果低下が速い」**と指摘している薬だ。数日飛ばせば、守りは薄くなる。「調子が悪いから飲むのをやめた」ではなく、「調子が悪いから主治医に連絡した」でなければならない。

病室のベッドとモニター 脈が速いか遅いかは、家庭の血圧計でも表示される。数字を見る習慣が、いちばん早い異変察知になる


心房細動と診断されている家族がいるなら

心房細動そのものは、すぐ命に関わる不整脈ではない。怖いのは合併症——脳塞栓と心不全だ。

実際、国立循環器病研究センターは**「心房細動に対する治療の基本は、脳梗塞を予防するための抗凝固療法です」と明記している。使われる薬はワルファリン直接経口抗凝固薬(DOAC)**だ。

そして誰に必要かについて、同センターはこう書いている。

特に、高血圧、糖尿病、心不全や、脳梗塞・一過性脳虚血発作の既往のある方、また高齢の方では、脳梗塞を起こす頻度が高いため

——この事案の方は、80代で、高血圧があった。並んでいる条件に、そのまま当てはまる。医療現場では、こうした条件を点数化して脳梗塞リスクを評価する仕組み(CHADS2スコアCHA2DS2-VAScスコア)が使われている。

ご家族に確認しておいてほしいのは、次の3つだ。

  1. 抗凝固薬を飲んでいるか。飲んでいるなら薬の名前を、お薬手帳で確認しておく
  2. 飲み忘れ・自己中断がないか。高齢の方の「昨日から飲んでいない」は珍しくない
  3. かかりつけの病院名と診療科。救急隊は必ず聞くし、これが分かると搬送先の決定が早くなる

なお、アスピリンなどの抗血小板薬は、心房細動の脳塞栓予防の薬ではない。日本循環器学会・日本不整脈心電学会の2024年ガイドラインは、抗凝固療法が必要な高齢の心房細動患者について**「抗血小板薬は,原則として使用すべきではない」**とし、推奨クラスIII(Harm=むしろ有害)に位置づけている。

「血をサラサラにする薬を飲んでいるから大丈夫」と思い込まないでほしい。薬の種類が違えば、守れるものも違う。何を飲んでいるかは、お薬手帳で確かめられる。


同居家族・義家族だからこそ、気づけること

この事案で、いちばん大きかったのは義理の息子さんが「今朝はおかしい」と判断したことだ。

ご本人は意識レベルが下がり、呂律も回らなくなっていた。自分から「助けて」と言える状態ではなかった

そして「1週間前から胸が苦しいと言っていた」という情報を、家族が救急隊に伝えられたことも大きい。この一言があるかないかで、現場での見立ても、搬送先の選び方も変わる

高齢の方の異変は、教科書どおりに出ないことが多い。「なんとなく元気がない」「ぼんやりしている」——それだけのことが、脳や心臓の異変の入り口だったりする。**毎日顔を合わせている人にしか分からない「いつもと違う」**が、いちばん精度の高いセンサーだ。義理の家族だから言いにくい、という気持ちも分かる。それでも、迷ったときは口に出してほしい。

手をつないで歩く母娘の後ろ姿 「いつもと違う」に気づけるのは、いつもを知っている人だけだ


脳卒中を疑ったら、迷わず119番

しゃべりにくい、顔がゆがむ、片方の手足に力が入らない——FASTとして知られる脳卒中のサインだ。ひとつでも当てはまったら、その場で119番してほしい(詳しくは「昨日から変だった」80代女性の脳卒中事案脳梗塞のゴールデンタイム4.5時間で解説している)。

脳梗塞の治療には、発症からの時間という条件がついてまわる。血栓を溶かすt-PA静注療法は発症4.5時間以内、カテーテルで血栓を取り除く血栓回収療法にも適応時間の制限がある。「様子を見る」時間は、その窓を確実に狭くする。

迷ったときは**#7119(救急安心センター事業)に相談できる。医師・看護師・救急救命士から電話でアドバイスを受けられ、緊急性が高ければ119番へ転送される仕組みだ。ただし、消防庁によれば実施しているのは全国41地域**で、どこからでもかけられるわけではない。お住まいの地域で使えるかを、平時に確認しておいてほしい。

そして——呂律が回らない・意識がおかしい・呼吸が苦しい。このどれかがあるなら、相談ではなく119番だ。


まとめ——心房細動のある家族を守る5つ

  1. 心房細動は「脳梗塞のリスク」として捉える。心臓でできた血栓が脳に飛ぶ。心原性脳塞栓症は突然発症し、重くなりやすい
  2. 「1週間前から胸が苦しい」を持ち越さない。息切れ・胸の重さ・むくみ・夜間の息苦しさは、心不全のサイン
  3. 脈が遅すぎるのも異常。40回/分前後の徐脈、ふらつき、失神は受診の理由になる
  4. 抗凝固薬を自己判断で中断しない。調子が悪いときは、やめる前に主治医へ連絡する
  5. 呂律不良・意識低下・呼吸苦のどれかがあれば119番。迷う段階なら#7119

この方が助かったのは、優れた処置があったからではない。同居している家族が、朝いちばんに「いつもと違う」と気づいたからだ。

医療の入り口は、病院ではなく、家の中にある。


「もしものとき」の備えを

心原性脳塞栓症は、急性期の入院・治療に加えて、麻痺や言語障害が残った場合の長期リハビリが必要になることがあります。心不全の治療も、入退院を繰り返す形になりやすい病気です。治療費だけでなく、介護のために家族が仕事を調整せざるを得なくなるなど、経済的な負担が長く続くケースは珍しくありません。

医療保険・脳卒中(三大疾病)保険・就労不能保険は、そうしたときの支えになります。心房細動や高血圧で通院しているご家族がいる方は、この機会に一度、ご家庭の保険を確認しておくことをおすすめします。


参考文献・出典

医療情報の正確性について:本記事の情報は執筆時点(2026年7月)の公的情報に基づきます。数値には出典による幅があります。脳卒中リスクの倍率は日本循環器学会2024年ガイドラインの「約5倍」を採用しましたが、厚生労働省e-ヘルスネットは「2〜7倍」としています。心原性脳塞栓症が脳梗塞に占める割合も、資料により「約4分の1」「約3割」と幅があります。医療判断は必ず医師にご相談ください。記事内容の誤りを発見された場合は、お問い合わせよりお知らせください。


※プライバシー保護のため、本記事はhiroの現場経験をもとに一般的な教育目的で作成しています。記事中の記述はLevel 2匿名化処理を行っており、特定の個人・地域・医療機関を指すものではありません。現場で繰り返し経験する事案の傾向を、一般化した形で記述しています。


免責事項:この記事の情報は一般的な救急・予防知識の情報提供を目的としており、医療行為・医療診断の代替となるものではありません。症状がある場合は必ず医療機関を受診してください。生命の危機を感じる症状は、すぐに119番に通報してください。