おなかが痛い。場所は、左の下のほう。熱もある。今日は、その話をします。
この記事は、特定のどなたかの事案の話ではありません。典型的な形としては——中年から高齢の人が、左の下腹部に痛みを感じる。前の日あたりから、だんだん強くなってきた。熱を測ると38℃を超えている。吐き気もある。けれど「おなかの痛みといえば右下の盲腸」という知識があるので、左なら大したことはないだろうと考えて、ひと晩様子を見る——という形で起こります。
現役救命士として腹痛の現場に行ってきた経験から言うと、家族が救急隊に最初に聞くことは、たいてい「盲腸じゃないですよね」です。おなかの病気の代表として、右下の虫垂炎がそれだけ広く知られているということだと思います。けれど実際には、左の下腹部を押さえている人のところにも、私たちはよく呼ばれます。
今日の傷病名は憩室炎(けいしつえん)です。そしてこの病気でいちばん分かりにくいのは、憩室そのものを持っている人はたくさんいて、その多くは何も症状がないということです。
いつもの暮らしのなかで、左の下腹部が痛みはじめます(イメージ写真です)
左の下腹部が痛くて熱が出た——傷病名は「憩室炎」でした
憩室(けいしつ)とは、腸の壁の弱くなったところが外に押し出されてできた、小さな袋のことです。MSDマニュアル家庭版は、憩室と憩室炎の関係をこう整理しています。
憩室に炎症が起こると、憩室炎と呼ばれる病気になります。憩室炎は、憩室の感染にかかわらず発生します。 (MSDマニュアル家庭版「憩室性疾患の定義」)
袋がある状態が憩室症、その袋に炎症が起きた状態が憩室炎です。一字違いですが、別のものです。
症状については、こう書かれています。
憩室炎の症状としては一般的に、痛みや圧痛(通常は左下腹部)、発熱、ときに吐き気や嘔吐がみられます。憩室炎では通常、消化管出血は起こりません。 (MSDマニュアル家庭版「憩室炎」・憩室炎の症状)
通常は左下腹部です。痛み、熱、ときに吐き気。そして血が出るのはふつうではないと書かれています。血が出ていないから軽い、という意味ではありません。
なぜ左なのか
理由も書いてあります。
憩室炎は、大腸の最後の部分で直腸のすぐ上のS状結腸に最も多く起こります。 (MSDマニュアル家庭版「憩室炎」・憩室炎の原因)
S状結腸(エスじょうけっちょう)は大腸の出口に近い部分で、おなかの左下にあります。炎症が起きやすい場所がそこだから、痛みも左下に出やすい——という順序です。
痛む場所だけでは、病名は決まりません(イメージ写真です)
「憩室炎」とは——「憩室がある」と「憩室炎になる」は別のこと
ここが、この記事でいちばんお伝えしたいところです。憩室を持っていること自体は、めずらしくありません。
憩室は40歳未満ではまれですが、それ以降は急速に一般的になっていきます。70歳以上では、大半の人で認められます。 (MSDマニュアル家庭版「大腸の憩室症」・憩室症とは)
70歳以上では、大半の人です。では、その人たちがみんな痛がっているかというと、そうではありません。
憩室自体は危険なものではありません。実際に、ほとんどの憩室症の人では症状がみられません。 (MSDマニュアル家庭版「大腸の憩室症」・大腸の憩室症の症状)
つまり、検査で「憩室がありますね」と言われたことと、いま左下腹部が痛くて熱が出ていることは、別の出来事です。持っていること自体はありふれていて、それだけでは痛みません。痛みと熱が出ているなら、炎症が起きている側の話です。
炎症がそのまま進むと
合併症として、同じ資料は瘻孔(ろうこう)・膿瘍(のうよう)・腹膜炎・狭窄(きょうさく)の4つを挙げています。憩室に穴があくと、細菌を含む腸の中身がおなかに漏れ出し、腹膜炎になることがあると書かれています。
腸管が破裂しているか、腹膜炎が生じている場合には、緊急手術が必要です。 (MSDマニュアル家庭版「憩室炎」・憩室炎に対する手術)
手術の中身は書きません。急がなければならない段階があるということだけ、お伝えします。
同じ資料は、憩室炎は高齢者で最も重症化するとし、コルチコステロイドなどの免疫抑制薬を飲んでいる人は感染のリスクも高まると書いています。該当する人は「様子見」に回さないでください。
ナッツや種が原因で起きるのではない、と原文は書いています(イメージ写真です)
避けるには・受診の判断——38.3℃という数字と、Q助の行き先
古い言い伝えは、否定されています
「種やナッツを食べると憩室炎になる」という話を聞いたことがある人は多いと思います。MSDマニュアル家庭版は、これをはっきり否定しています。
ナッツ類、種子類、トウモロコシ、またはポップコーンの摂取が原因で憩室炎が起きることはありません。 (MSDマニュアル家庭版「憩室炎」・憩室炎の原因)
症状がない人の食事についても、こう書かれています。
憩室があっても症状がない場合、治療法の変更も食習慣の変更も必要ありません。 (MSDマニュアル家庭版「大腸の憩室症」・大腸の憩室症の治療)
食事の制限について、私から足せることはありません。なお治療のページには、再発のリスクを減らすため非ステロイド系抗炎症薬(NSAID=解熱鎮痛薬の一種)の使用は避けるべきという記載があります。自己判断で中止せず、主治医に確認してください。
入院の目安として、原文に数字があります
憩室炎の症状が重度の場合(例えば、腹痛がみられる、38.3℃を超える発熱がある、その他の重篤な感染症や合併症の証拠がみられる場合など)は入院します。 (MSDマニュアル家庭版「憩室炎」・憩室炎の治療)
38.3℃という数字が出てきます。家庭で「超えたら救急車、超えなければ大丈夫」と使う線ではありません。けれど何度が何時だったかは受診先で必ず聞かれるので、測って記録してください。
軽い場合についても、こう書かれています。
軽度の憩室炎は自宅での安静で治療できます。 (MSDマニュアル家庭版「憩室炎」・憩室炎の治療)
ただし、軽度かどうかを家庭で決めないでください。原文が「自宅で安静」と書いているのは、診察と検査を受けて診断がついた人の話です。
Q助をたどると
総務省消防庁の「全国版救急受診アプリ(Q助)」で、大人の「腹痛」をたどります。最初の画面の5項目のうち、1つめがこれです。
1.痛みは突然に起こりましたか? 〔または〕 強い痛み(激痛)がずっと続いていますか? (総務省消防庁「全国版救急受診アプリ(Q助)」大人「腹痛」)
当てはまれば、その時点で「いますぐ救急車を呼びましょう」です。当てはまらなければ次の14項目に進みます。憩室炎で引っかかりやすいのは、この項目です。
4.発熱(38℃以上)はありますか? (総務省消防庁「全国版救急受診アプリ(Q助)」大人「腹痛」)
発熱は憩室炎の典型的な症状なので、ここで当てはまる人が多くなります。選ぶと次の画面で2項目だけ聞かれます。
1.高齢者(65歳以上)ですか? (総務省消防庁「全国版救急受診アプリ(Q助)」大人「腹痛」)
もう1つは、歩けない状態かどうかを聞く項目です。どちらかに当てはまれば「いますぐ救急車」、どちらでもなければ「できるだけ早めに医療機関を受診しましょう」になります。
つまり、左下腹部が痛くて38℃以上の熱がある65歳以上の人は、Q助では救急車側に出ます。もう一つお伝えしたいのは、Q助の大人の腹痛には、痛みが右か左かを聞く項目がないことです。最初の5項目にも、次の14項目にもありません。国の道具は、場所では分けていないということです。
なお『救急蘇生法の指針2025(市民用)』全69ページには、「憩室」「腹痛」「腹膜炎」が0件でした。単純な検索でも、ふりがなで文字が分断される場合を許す検索でも0件です。心肺蘇生と応急手当の冊子だからです。
38.3℃という数字が、原文に書かれています(イメージ写真です)
ひと晩様子を見る、の前に測ってください(イメージ写真です)

