夏の朝、奥さんからの119番を受けた。
「主人が玄関にへたり込んでいて。声をかけると返事はするんですが……何かおかしくて」
声をかければ返事はある。 でも口がうまく回らない。 舌が張り付くようにカサカサ。 言葉がつっかえる。
「いつもと違う」——その直感が、119番を押させた。
電話口の声は落ち着いていた。 でも「何かおかしい」という感覚は正しかった。
私は現役救命士で経験20年。 現場で見たのは、ふつうの「ちょっと体調が悪い」じゃなかったんです。
「声をかければ返事はある」——でも体の中ではすでに異変が始まっていた
夏の朝の静けさ——玄関の廊下に差し込む光。こんな穏やかな朝にも、熱中症は忍び込む
救急隊員が見た現場の血圧・脈・体温
ある地方都市の住宅街、70代男性。奥様と二人暮らし。
着いたとき、患者さんは玄関に座り込んでいた。 顔色は悪くない。 声をかけると目を開けて応答する。 「朝から体がだるくて」と本人も話す。 見た目には「あ、大丈夫かな」と思わせる状態だ。
でも、測定した数値は別のことを語っていた。
現場で計った血圧・脈・体温(9時44分)
| 項目 | 数値 | 評価 |
|---|---|---|
| 意識 | 1-1(意識ははっきりしていた) | 良好 |
| 意識レベル(目・声・動き) | 15点(すべて正常) | 良好 |
| 呼吸 | 20回/分 | 正常 |
| 脈 | 72回/分 | 正常 |
| 血圧 | 145/83(少し高め) | やや高め |
| 血液中の酸素 | 98%(正常は95%以上) | 正常 |
| 体温 | 35.8℃(低め・要注意) | 通常よりも低い |
| 肌のつまみテスト | 戻りが遅い(脱水サイン) | 体の水分が足りないサイン |
数値は「見た目の安心」とは別のことを語っていた。体温の低さと肌の戻りの遅さが鍵だった
参考:バイタルの正常値の目安
| 項目 | 患者の値 | 正常値 | 判定 |
|---|---|---|---|
| 血圧 | 145/83 | 収縮期<120、拡張期<80 | 少し高め(拡張期は正常範囲内) |
| 脈拍 | 72回/分 | 60〜100回/分 | 正常 |
| SpO2(酸素飽和度) | 98% | 95〜100% | 正常(呼吸OK) |
| 体温 | 35.8℃ | 36.0〜37.0℃ | やや低め(低体温気味) |
これを見ると「一見バイタルは大丈夫そうに見える」。でも実際は脱水がかなり進んでいて、放置すると危険な状態でした。
注目は体温の低さと肌をつまむと戻りが遅い(脱水サイン)。 そして口の乾きだ。
熱中症というと「体温が高い」イメージがあるよね。 でも、条件次第で体温が正常以下でも熱中症は起こる。
肌をつまんで、戻りが遅い。 これは体の水分が足りない状態(脱水)のサインだ。
この方は口の乾きも目で見てわかるほどひどかった。 「うまく喋れない」と自覚するほど舌が口に張り付く感じ。 唾液がほとんど出ていなかった。
体の水分が足りない状態(脱水)の兆候が、複数いっぺんに出ていた。
主な訴えは「体がだるい・口が渇く・喉が渇く」。 血圧や脈は普通に見えても、体はすでに悲鳴を上げ始めていたんです。
なぜ「屋内で」熱中症になったのか
この方に話を聞いて、原因はすぐわかった。
前夜20時頃、焼酎の梅の湯割りを2杯。それが最後の飲食だった。
「お酒を飲んだだけで熱中症になるの?」と思うかもしれない。 なるんです。こういう経路で。
夜のお酒→眠っている間の水分喪失→朝の口の乾き。この3ステップが屋内熱中症を招いた
まずお酒にはおしっこを増やす働きがある。 飲んだ量より多くの水分が、尿として体の外に出ていく。 湯割り2杯でも、眠っている間に体の水分は着々と減っていく。
そして夏の夜、寝ている間にも汗をかく。 エアコンがあっても、皮膚から水分が知らないうちに蒸発していく。
朝7時に起きたとき、体の水分が足りない状態(脱水)はすでに進んでいた。 「朝から体がだるい」「のどが渇く」——これは全部、体が水を求めているサインだ。
屋内にいても、前夜に少しお酒を飲んだだけでも、高齢者の体は静かに体の水分が足りない状態(脱水)へと向かう。 これが屋内熱中症の典型的な起き方だ。
喘息の既往があることも、体への負担として念頭に置きながら搬送を判断した。
熱中症の重症度区分(日本救急医学会 診療ガイドライン2024)
熱中症は症状の重さで3段階に分けられます。
Ⅰ度(軽症)
- めまい・立ちくらみ
- 大量の発汗
- 筋肉のこむら返り
- 一時的な意識消失(数秒)
対応:涼しい場所で休む・水分補給・体を冷やす。改善しなければ医療機関へ。
Ⅱ度(中等症)★今回の患者
- 頭痛・嘔吐
- 倦怠感・虚脱感
- 集中力・判断力低下
- 皮膚のツルゴール(張り)低下=脱水サイン
対応:病院受診が必要。自力で水分補給できないなら救急要請を。
Ⅲ度(重症)
- 意識障害・けいれん
- 高体温(40℃以上)
- 肝・腎機能障害
- 血液凝固異常
対応:ただちに救急要請(119)。命の危険がある状態。
出典:日本救急医学会「熱中症診療ガイドライン2024」 (公式サイト:https://www.jaam.jp/info/2024/info-20240624.html / PDF) ※ 政府の啓発資料:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/nettyuu/index.html
「軽症だから119を呼ばなくてよかった」は本当か?
最終的な判定は軽症だった。 では「119番を呼ぶ必要はなかった」のか?
答えはNOだ。3つの理由を挙げる。
理由①:熱中症は進行するから
熱中症は「今の状態」だけでは判断できない。 「これからどう変わるか」が問題なんです。
軽症でも、水分補給がなければ数時間で重くなることがある。 特に高齢者は「大丈夫」と思っている間に急変することも珍しくない。
理由②:見た目と実態がズレるから
今回も「意識があって話せる」状態だった。 でも実際の数値では体の水分が足りない状態(脱水)が進んでいた。
肌をつまむと戻りが遅い(脱水サイン)——これは専門家でないと気づきにくい。 見た目の「大丈夫そう」の裏に、危険が潜んでいた。
理由③:二人暮らしというリスクがあるから
一人では対処が難しく、介護できる家族も一人だけ。 奥様が「何かおかしい」と感じてすぐ119番したことで、適切なタイミングで処置できた。
「様子を見よう」と判断していたら、体の水分が足りない状態(脱水)はさらに進んでいただろう。
「軽症だから呼ばなくてよかった」は間違いだ。早く呼ぶほど、早く対処できる
搬送中の血圧は153/89(やや高め)で、他は安定していた。 地域の救急病院で点滴と経過観察を受け、大きな後遺症なく処置を終えた。 早期に119番を呼んだことが、この方を守ったんです。
家族が知っておきたい熱中症の「隠れサイン」5つ
熱中症の怖さは、本人が「まだ大丈夫」と思っているうちに進行することだ。 家族だからこそ気づける5つのサインを覚えてほしい。
① 体がだるい・起き上がれない 夏の朝にこの訴えがあったら、熱中症の第一候補として考えてほしい。
② 強い口の渇き・喉の渇き 口が渇くということは、すでに体の水分が足りない状態(脱水)が始まっているサインだ。 高齢者は渇きを感じるタイミングが遅れがちで、渇いてからでは手遅れになりやすい。
③ 口がうまく喋れないほどカサカサになる 舌が張り付いて言葉がつっかえるほど乾く。 「なんか口が変」という家族の気づきが、命綱になることがある。 **肌をつまむと戻りが遅い(脱水サイン)**とセットで確認してほしい。
④ おしっこの量が減る 「朝から一度もトイレに行っていない」 「おしっこの色が濃い」——これは体の水分が足りない証拠だ。
⑤ 頭が痛い 夏の朝の頭痛を「二日酔い」と片付けず、水分不足の観点からも見直してほしい。
「のどが渇く前に水を飲む」。高齢者には特に重要な言葉だ。
5つの「隠れサイン」——「まだ大丈夫」と思っているうちに、体は限界に近づいている
「今日は体調どう?」——たった一言の声かけが、命を守ることがある
夜明けの道を走る救急車。早い通報が早い対処につながる

